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2026年7月26日日曜日

【報告続き】7.12対話集会の続き(2)「自己決定(自主避難)したことを人権侵害を甘受する根拠にできるのか」について沢山の人たちと対話したい(26.7.26)

7.12対話集会に九州から参加した人がこういう趣旨のことを言ったーー自分は千葉から九州に避難したが、或る有名人から、自分みたいに自主避難した人のことを「頭のおかしい人がいる」と相手にもされない扱いを受けた、自分は被災者(被害者)として認められなかったと。

その有名人は私のかつてのクライアントだったが、この人がそのような発言をしたことは知らなかったので、そうなのかと聞いていた。
時間の都合で、この人が自主避難者をなぜ「頭のおかしい人」と評したのか、その理由は分からなかったが、「そもそも避難する必要のない人が、思い込みで勝手に避難した」という意味なのだろうと推察した。(もしそうだとしたら)だが、千葉は、とりわけ東葛地区は深刻な放射能汚染が発生した地域だ。周知のとおり、どんな微量であっても放射線被ばくが電子を吹き飛ばす電離作用によって人体のDNAなどの組織を傷つける(DNA切断など)ことはよく知られていて(詳細>こちら)、電離作用が健康に悪影響を及ぼす可能性があることは「勝手な思い込み」どころか、科学的に十分根拠のある認識である。
だから、そのような可能性を踏まえて、健康への悪影響を懸念して、現実に健康への悪影響が出る前に、予防的に、汚染地から自主的に避難することは極めて根拠があることで(311前の山下俊一放射線健康リスク管理アドバイザーの愛用したコトバ「転ばぬ先の杖」、小泉元首相の愛用したコトバ「備えあれば憂いなし」も予防的な対処の必要性・重要性を訴えている)、そのような場合には「そもそも避難する必要が十分にある」。なので、それを「頭のおかしい人」と評する人のほうがよっぽど「頭がおかしい」、あべこべだ。

ただ、ここで私がちょっとひどすぎると思ったのは、予防原則に従って行動した人を「頭のおかしい人」と評する態度に、自主避難者に対する何とも言えない、陰湿ないじめ、パッシングを感じたことだった。これらのいじめ、パッシングは「不当」のレベルを超えて、「人権侵害」のレベルにまで達しているのではないかという気がした。
そして、このような陰湿ないじめ、パッシングがなぜ、しかも執拗にくり返されるのか?その理由を考えていくと次のことに思い当たる。それはいじめ、パッシングをする側に次の意識があるからではないかーーあんたら(自主避難者)は、強制された訳ではなくて、もともと自分自身で避難しようと決めたんだろ。自分で決めたんだったら、避難した結果、どういう事態になろうとも、それは自己決定がゆえの自己責任だろうよ。避難先で直面した事態に、ぐだぐだと文句を言うんじゃない!

つまり、自分で決断して避難した以上、その結果、避難先で経済的、人間的、教育的に数々の未曾有の困難な生活に直面しても、「身から出たさび」なんだから、それに耐えるべきであって、それに対する救済を求めるような真似をするんじゃない!と。言い換えれば、自己決定したんだから、「自分のまいた種」として、避難先で直面した数々の人権侵害(安心して避難先で生活再建をする権利の侵害)に対して救済を要求するんじゃない、甘受すべきだと。

このような意識を抱いている人にとって、自主避難者が人権だの救済だのを口にするのを見聞きしたとき、これに猛烈に反発し、いじめ、パッシングに出るのは或る意味できわめて自然の成り行きに思えた。彼らのいじめ、パッシングの背景にはどうやらそれなりの理由があるらしい。だとしたら、それは容易に止むことはないだろう。だから、冒頭で紹介した、九州に避難した人は、彼らと理解し合うことは諦めて、自分の気持ちを分ってくれる人たちを求めて、この日の集会にもやって来た。

しかし、彼らと理解し合うことは不可能なのだろうか。彼らのいじめ、パッシングの背景にある理由は解決不可能だろうか。私はそうは思わない。彼らと理解し合うことは容易ではないかもしれないが、永遠に不可能とは思わない。彼らもまた、自分なりの信念に基いていじめ、パッシングに出ているのだから、もしその信念を覆すことができたなら、いじめ、パッシングを覆すことができる。

では、どうやって、彼らの信念を覆すことができるのか?彼らの信念をめぐってどのような対話をしたら問題の解決に向けて次の一歩に進めるのか。

この点について、次のような考え方がある。
そもそも、この世には生き物としてどう生きるか死ぬかといった「事実」しかない、人権とか責任とかの「規範」なんて存在しない。そう考える人にとっては、「自己決定したんだからその結果に対して自己責任を負え」という「規範」も存在せず、意味がない。同様に、自主避難者が避難先で直面した数々の困窮を国が救済すべき「責任」があるという「規範」もまた存在せず、意味がないことになる。すべてはこの世の「事実」次第であって、弱肉強食の世界のままだから。

私はトランプやネタニヤフが好む、このような「事実」万能論に組みしない。 この世には「事実」と並んで、それは葦の葉のようにか弱い、心もとないものに見えるかもしれないが、人権とか責任とかいう「規範」も存在すると考える。しかも「規範」は初めから存在するものではなく、「生成」の中から存在するに至るもので、なおかつ、この「生成」の原動力は我々市民にある。
その結果、「責任」のあり方も、「責任」が誕生した頃の姿とその後の世界の変化の中での姿とはちがってくる。近代社会誕生の頃の「責任」はカントが指摘したように、自分の意思(自由)で特定の行為を選択した以上、その行為の結果に対して「責任」が発生するというものだった。刑事では、自由意志(自己決定)にもとづいて犯罪行為を実行したのだから、その人に刑罰が科せられると刑事責任の根拠とされた。民事でも、自分の意思で契約を締結した以上、その契約内容に拘束される、契約違反をすれば「責任」が発生するとされた。
しかし、この古典的な「責任」論は、
その後の世界の変化の中で従来の姿から抜本的な変容を迫られた。その典型が20世紀に登場した社会権(生存権)、つまり営業の自由を抜本的に修正する人権=社会権だった。古典的な「責任」論では、自分の意思で契約を締結した以上、その契約内容に拘束され、契約内容の変更を求めることは原則として許されなかった。しかし、その結果、経済的弱者である労働者は経済的強者の経営者が決定した雇用契約をそのまま受け入れて締結せざるを得なくなり、たとえどんな不利益な契約内容でもそれに拘束されるという不条理な結果が発生した。ここにおいて、たとえ表面上は、自分の意思で契約を締結したとしても、その契約内容が正義公平に反するものであれば、そのような契約内容に労働者は拘束されず、正義公平に合致するように契約内容を強制的に変更されるようになり、「責任」論が抜本的に変容された。個人の自由意思に着目した古典的な「責任」論は、個人が置かれている構造的な関係(その典型が、市民が労働者として圧倒的な格差のもとで経営者と雇用契約の関係に入る場合)の中で個人の尊厳、生存が十分尊重されるにふさわしい責任の取り方に、抜本的な見直しをすることになった。

そして、この、古典的な「責任」論の現代における変容という問題が、自主避難者の「自己決定」に対しても、もろに影響する。その結果、自主避難者は、避難するかどうかを自分で考え、自分で避難を決定したとしても、そこから従来のように、機械的に、避難した結果に対して自主避難者が全面的に自己責任を負うのではなく、個人の尊厳と生存権保障の観点から、自己及び家族の被ばくの危険を考慮して、予防原則に従って避難した本人及び家族が避難先で生活再建を果せるように必要な支援を行なうことが国家や自治体の法的な義務として、つまり「責任」として発生することになった。その結果、もし国家や自治体が自主避難者の避難先での生活再建がスムーズに果せるように、必要な支援を実行しなかった場合には、それは自主避難者の生活再建権という人権の侵害となる。言い換えれば、避難を自主決定したからといって、避難先での生活再建において様々な困難に遭遇したときにそれらを全て避難者の自己責任として甘受しなければならないいわれはない。国や自治体は、避難者が避難を自主決定したことをもって、自分たちが避難者の避難先での生活再建を支援しないことの言い訳にすることはできない。むしろ、避難者の自己決定は、従前の「自己決定と自己責任」とは正反対の、避難先での「生活再建権」を保障すべき根拠とされるものに、その持つ意味が古典的な自己決定から根本的に変容された。

この点さえ正しく理解すれば、自主避難者が避難を自己決定したことをもって、自主避難者が避難した結果について国や自治体にあれこれ要求することがおかしい、とはもはや言えなくなるだろう。自主避難者に対する陰湿ないじめ、パッシングもその根拠を失ったことを自覚できるだろう。

最後に、
近代社会の到来で人権が登場したとき、それは国家の不干渉(不作為)を内容とする自由権のことだった。しかし、資本主義の成熟の中で格差が拡大し、貧富の差が顕著になったとき、人権はその命を保つために、抜本的に進化した。それが国家の関与(作為)を内容とする社会権(生存権)だった。この「人権」論の抜本的変容はどの憲法の教科書にも必ず書いてある。しかし、この抜本的な進化の過程で、実はもうひとつ重大な進化があった。それが「責任」論の抜本的変容である。しかし、これについては、どの憲法の教科書のどこにも書かれていない。これは憲法論、人権論の致命的な怠慢である。
「責任」論の抜本的変容、そのエッセンスについて、私はまだ単純明晰な定式化をするに至っていないが、それは古典的な「自己決定と自己責任の対称性(対応)」から「自己決定と自己責任の非対称性(非対応)」その結果、「自己決定と自己無責任&国の責任の対応」へのシフトを内容とする。
そして、この
「責任」論の抜本的変容を自覚しないことが、人々を、今なお古典的な、その意味で現代では誤った自己決定論(自己決定と自己責任が対応する)に基づいて、自己決定をした自主避難者に対する陰湿で執拗ないじめ、バッシングがくり返し発生する温床(根拠)となる。 だから、単に、いじめ、バッシングはおかしい、やめろと言うだけではいじめ、バッシングはなくならない。自己決定をした者に対する陰湿ないじめ、バッシングをしないではおれない、いじめを正当化する根拠となっている自己決定論(自己決定と自己責任が対応する) の誤りを解明して、それを自覚してもらって初めて、いじめ、バッシングをする者がいじめの自発的中止を自己決定できる。
くりかえすと、自己決定をした者に対する陰湿ないじめ、バッシングを自発的に解決するためには「責任」論の
抜本的変容の自覚が不可欠である。そのための対話を 日本各地の市民としたいと心から願っています。

もう1つ最後に、
私は、高校時代、クソ授業に我慢出来ず、授業をサボりまくって、担任から「授業をサボるんなら退学しろ」と勧告されたとき、怒り骨髄に達して猛反発し、「ルイ16世を処刑した市民の気持ちが分った!」とあやうく暴力沙汰になるところだった。この時、私に対する退学勧告問題がこじれたのは、担任が私に「自己決定」を盾に退学を迫ったからだったーー「君はこの学校に入学する時に誓約書を出したね」「その中で、学校の規則を守りますと君は誓約している」「今、授業をサボり続けるのなら、それは誓約書違反だ」だから、私が退学させられても自業自得、しょうがないと。つまり、担任は私が誓約書にサインした自己決定を退学の正当理由にした。それは論理として完璧だと思った。しかし、私の中で無意識のうちに、このクソ論理が自分自身の心の奥底にあった「全うな授業で全うな学びをしたい」という願いが無残に足げりにされたと感じ、それに逆上し、「許せない!」と怒り骨髄に達して猛反発した。
だが、当時の私には、今書いたような、
「責任」論の抜本的変容の自覚が全くなかった。そのため、私の中の「抵抗」は対話ではなく、フランス革命のような暴力という直接的行動に向かうしかなかった。そして、これはひとり私だけに限らず、70年代の日本の荒廃した教育現場のあちこちに見られた光景だった。私もまた、知らずして、時代の波(対話する力がなく、暴力に向かうしかない)の中にいたことを今、改めて思う。この時代の波から学ぶこと、それをくり返さず、一歩前に出て対話に挑戦すること、それが7.12対話集会の学びの1つだと思う。

 

2026年7月25日土曜日

【報告続き】7.12対話集会の続き「人権活動家よりも、人権を信じない小出さんと共にいたい」について沢山の人たちと対話したい(26.7.25)

   2018年3月、チェルノブイリ法日本版の会結成集会に参加した小出裕章さん


7月12日の対話集会に参加された人と、その後、お会いしたり、メールで、当日の話題について対話を重ねていて、
以下は、その方から、小出裕章さんの「人権」についての対話をご存知ですか?と問いかけられ、それに対する私のコメントです。
これは私たち2人の対話にとどまらない、7.12集会の根本に関わることなので、ここに掲載させてもらいました。
私は、こうした対話を今、日本中の市民としたい、そう心から願っています。

 ***************** 

人権活動家よりも、人権を信じない小出さんと共にいたい。

                         柳原敏夫

7月12日の対話集会、私は、50歳半ばまでずっとブル弁(ブルジョア弁護士)の仕事をしてきたことを喋った。ブル弁を続けてきた消極的な理由として既成の人権活動家に対する不信があった。彼らが振りかざす「人権」がどうしてもなじめず、どこか信用できないと直感的に感じていて、なかなかそこに向かう気がしなかったからだ。人権をうさんくさいものと感じる私の気分を代弁していると思ったのが、人権なんてないと断言した小出さんの次の発言だった。
小出 放射線は少量でも生命体に必ず影響を与えます。だから障害をもった子どもが必ず生まれてくることを前提に差別の問題を考える必要があると思います。
槌田 生きていく上で差別されない人権があると思います。
小出 僕は人権という言葉は嫌いです。人間の権利なんてない。生き物としてどう生きるか死ぬかだけです。
                 『原発事故後の日本を生きるということ』(2012年11月

私もまた、50歳半ばまで、この世には生き物としてどう生きるか死ぬかという「事実」しかない、人権なんて存在しないのだと思っていた。人権とか憲法とか、さらには法律とかは結局のところ、自分たちの利害打算、政策を尤もらしく正当化するための意味づけ=大義名分=イデオロギーにすぎず、世界をリアルに把握するためにはイデオロギーによる「意味づけ」をはぎ取って、「意味」という白粉でお化粧される前の、地肌の「事実」に向かうしかないと確信していた。
ところが、そのリアルな認識はブル弁として著作権ビジネスの世界にドップリ漬かって仕事をする中で、自分でも思いもよらない形で揺さぶられていったーー24時間金儲けしか考えない著作権ビジネスの経営者(これが私のお客だった)の政策のために、クリエーター、アーティストたちがドブネズミのように扱われ、ポイ捨てされる「事実」を前にして、これが「弱肉強食」の資本制社会の現実なのだと受け止めることでは済まなくなって、いくら何でもさすがにその扱いはおかしいんじゃないかと、なぜなら、彼らこそ作品という価値を創造した源泉なのに、その価値創造に相応しい扱いがされていないじゃないかと、そこから、思いがけず、「彼らを人間として扱え!」という抗議の声が自分の心の底から沸きあがって来るのを押さえられなくなったからである。
そのとき、この思いがけず沸きあがって来た声もまた「事実」だった。だが、それはこれまで見てきた「事実」とは明らかに異なる「事実」だった。いわば、それは人々を
ドブネズミのように扱うエグイ「事実」の積み重ねの中から生成されてきた叫び、そしてそれは私にとって疑う余地のない「価値判断」の叫びだった。あとになって、このような「価値判断」の叫びのことを「人権」と呼ぶのだと教えられた時、私は素直に納得した。そして、この叫びを尊重するのが「人権」を尊重することなら、この意味でなら「人権」は存在する、ずっと「人権」のそばにいたいと思った。
これまで、私の前にあった、手垢に汚れた「ありきたりの道徳教訓」としての
「人権」が、この時、人間がどんなに迫害され、どんなに虫けらのように扱われてもこれだけはどうしても手放すことができないものとして「人間の証(あかし)」として、全く新しい姿で目の前に再登場してきた。これが、ブル弁の私が人権を「再発見」した最初だった。
そして、このような人権のあり方を映画にしたのが、最初、金儲けの手段としてユダヤ人を利用しようと企んでておきながら、その後に、それとは正反対の「ユダヤ人の命を救うために全財産を投げ出してしまった」という不可解、奇妙奇天烈な行動に出たナチス党員シンドラを描いた「シンドラーのリスト」だということを「再発見」した。
そしたら、30年以上前、高校時代にクソ授業に我慢出来ず、授業をサボりまくって、担任から「
授業をサボるんなら退学しろ」と勧告されたとき、怒り骨髄に達して猛反発した経験を思い出し、この時、「まともな学びをしたいと思っているオレを人間として扱え!」という抗議の声が自分の心の底から沸きあがらないではおれなかったということを合点し、この叫びが「自分にまっとうな授業を受けさせろ」という「教育を受ける権利」の人権を求める叫びだったことを「発見」した。
このとき、人権はそこらへんにころがっているのを「見る」のではなく、自分自身で「発見」するしかないものだということに気がついた。

そのあと、私は、「人権」「人権」を言う既成の人権活動家よりは、「人権」は嫌いだ、この世には生き物としてどう生きるか死ぬかという「事実」しかないという小出さんと共にいたいと思った。その上で、その「事実」を突き詰める果てに、その「事実」から生成される、「人間として扱え!」と叫ばずにおれない叫び、この叫び声という「事実」を「人権」として「発見」することが可能であり、小出さんもまた、意識せずに、無意識のうちにその「発見」をして、その叫びを日頃から口にしている人なのではないかと思った。


くり返すと、
この世で人権を見た人は誰もいない。人権に触った人もひとりもいない。その意味で人権は存在しない。にもかかわらず、人権は存在する。では、どんな風にして?ーー人権は事実を突き詰める中から、具体的には人権侵害というおぞましい「事実」とあらがう中で、人権侵害を否定しないではおれない叫びとして生成される。その叫び声が事実から生成された人権。
例えば、世界最初の人権とされる宗教の自由。だが、これは人々が宗教の自由を尊重した結果、出現したものではない。それは、自分と異なる宗教を信仰する人々を異端、悪魔と激しく排斥する宗教戦争をやり抜いて、情け容赦ない殺戮の「事実」の果てに、それに対する猛烈な自省から、人々は自分と異なる信仰に対する寛容の必要性・重要性に目覚めた。この新たな「事実」、それが「宗教的寛容」であり、この宗教的寛容が人権(=宗教の自由)として出現した。

    サンバルテルミの虐殺『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書』p.242(世界史の窓

これに対し、この生成過程を離れて、誰もが反対できない、単なるお題目として人権を振りかざすとき、その時、人権の生命は「死滅」する。
政府が広報する人権はもとより、自分の周りで耳にする人権はその類のものが多すぎる。
もっと早く、人権のこの本来の生成過程を知ったなら、私は、ためらわずに、とっとと、ブル弁から人権弁に向かうことができたのにと思う。
今、日本社会に、この「人権の発見のための対話」の場が、切実に求められている。
チェルノブイリ法日本版の会(の少なくとも私)は、日本の市民と、そのような
「人権の発見のための対話」をすることを心から願っています。

2026年7月14日火曜日

【報告】「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」ーー311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための7月12日(日)の報告&対話集会(26.7.14)

「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会を東中野のポレポレで、7月12日(日)の12時と14時半と各2時間ずつ、2部制で行ないました(>そのお知らせのチラシ)。

当日は1回目、2回目とも盛況で、遠くカナダ・米国、イタリア、九州、青森からも参加があり、原発事故は国境なきカタストロフィ(惨劇)であることを実感しました。また、当日、この対話集会を知って、申し込んでくれた方もいました。
第三部の対話の部分は非公開ですが、そのほかの報告の第一部・第二部の動画とパワポ資料、第三部の冒頭のゲスト金澤伶さんの発言は以下です。

第1回目(司会:さわいめぐみさん)
第1部(登壇者:小川晃弘・郷田みほ)


パワポ資料(全文>PDF


後半に登壇した郷田みほの話は、2018年12月、日本版の会で初めて福島県(郡山市)で開いた学習会の内容についてです。その時の動画、プレゼン資料(>全文のPDF)は以下です。

【報告】福島県郡山市、12月1日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--3.11ショックに対抗する、もう1つの『あべこべ』は可能だ--」(2018.12.2)


第2部(登壇者:柳原敏夫)


パワポ資料(全文>PDF














事前の資料 
人権についてのつぶやき(0):7.12集会に向けて:「原発事故に人権を! さりとて、人権っていうけど、それが何なのか、実はよく分らない」 を受けて(26.7.1)
・人権は絵空事、唐人の寝言か? >第17話
人権に力があるとしたら、それはどんな風な力なのか? 第18話
人権の(歴史的な)起源はどこにあるのか? 第19話
人権の限界はどこにあるのか? 第20話
・人権と向き合うとは
どういうことか第21話
・人権の未来は人権の起源にある? >第22話


第3部 対話編 冒頭の感想(ゲストの金澤伶さん)


第2回目(司会:さわいめぐみさん)
第1部(登壇者:小川晃弘・郷田みほ)



第2部(登壇者:柳原敏夫)


ラストの締めくくり(小川晃宏と柳原敏夫)


集会を終わって参加者の感想(順次、アップします)。

・柳原敏夫
(3度目)「人権活動家よりも、人権を信じない小出さんと共にいたい」
  
長文のため、こちら

・さわいめぐみ
(司会)
私たちが語り合うことの意味は、なんだろう。

あれだけの大きな原発事故があって、15年経った今も収束していない中、政府はさらに原発の新増設を進めています。私たちが経験したことの意味は、なんだったのか。問いは、今もなお、現在進行形で続いています。

それぞれが、自分自身の気持ちを、心の深いところから獲得し、ともに「分かち合う」ことができたなら、と思います。

辛いことを、辛いと言えること。
嫌なことは、やらなくていいこと。
正しさを競うのではなく、自分自身の弱さをこそ、開示できること。

そういった対話の場をたくさん作ることができたら、原発という不合理な仕組みが、今もこうしてまかり通ってしまうのはなぜなのか、その答えが見つかるのではないか。ただ分かち合うこと、そのことが、原発を進める偏った権力を見直し、その引力をバランスさせていくことができるようになるのではないか。対話の力を、そんな風にも感じています。

対話を重ねることによって「私はこのように生きていきたかったんだ」という、心の底からの願いを獲得し、その心で生きていくことができる社会を、共に作っていけたら——そう、再び希望を胸に抱き直すような場でした。

またお会いしましょう。
ありがとうございました。


伊藤とも子(脱被ばく実現ネット)

 原発事故以降、被害に遭った私たちの「人権」も消失したように感じていました。日本政府は不都合な事実を隠蔽し、被害者である私たちへの抑圧と人権侵害がまかり通り、オーウェルの「1984年」の中にいるような、失望と無力感がありました。放射能汚染下の「復興」という、健康被害を全く考慮しない、異常事態が“日常”になり、空気中の放射性物質の存在は―――考えない方が「楽」に誘導されてしまいます。

この対話集会では様々な方々が、原発事故以降の心の中にある感情を率直に話す事ができ、共有できたのが大きかったと思います。「チェルノブイリ法日本版」に向けて郡山で地道に活動されている報告や高校の先生が生徒の皆さんに「真実」を伝えようとしている姿勢に感銘を受けました。

長崎で被爆した故美輪明宏さんは「愛があれば戦争なんか起こりません」という信念をお持ちだったとか。「愛」という言葉には気恥ずかしさも感じますが「現状を変え得るほどの強いあたたかな感情」と思えば、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の活動も美輪さんの信念に通じるところ――があるように思えます。

・岡田俊子
(主催者スタッフ。日本版の協同代表)
7.12の対話集会、凄く良かったので又やってほしいと参加者の方々から言われ、又facebookでのコメント欄には、 参加したかった、残念。~と言う方も。
又やってくれるみたいだから大丈夫よ~とコメントしてくれている方。
準備は大変でしたが、当日の開始ギリギリまで申込みの連絡も頂き、本当に嬉しい悲鳴でした。
年2回行っている新宿デモ(主催:脱被ばく実現ネット)に参加して下さり、ここ数回はコーラーまでお願いして親しくさせて頂いている新宿区議の「沢居めぐみ」さん。
忙しい沢居さんに、今回はこの企画にご一緒して貰いたく打診し、快く受けて頂きました。柳原さん、小川さんと一緒に彼女に会いに行ったり、zoomでも何度か打ち合わせをして準備を進めました。
美大を出ていらっしゃる彼女が作成して下さったチラシは、流石でした。
そして当日の司会は、とても素晴らしく、沢居さんにお願いして本当に良かったと思いました。
ゲストとしてお話して頂いた大学生の金澤伶さんは色々な活動で頑張っていらっしゃいます。チェルノブイリ日本版にも関心を持って下さり、今後がとても楽しみです。
第3部の会場の皆さんとの対話の動画は非公開ですが、色々な方のお話が聞け、特に若者達の発言はとても 私達の心に響くものでした。 
これからも多くの若者達とも繋がり、残された時間を私が出来る限りの事を仲間達と一緒に楽しみながら進んで行きたいと思います。


・郷田みほ
市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会による「第1回対話集会」が、7月12日に東中野の「ポレポレ座 space&cafe」で開催されました。

初の試みということもあり、当初は思うように集客ができず心配していましたが、直前になって問い合わせが増え、前日の新宿アピールでチラシを受け取ってくれた方も駆けつけてくださいました。当日は多くの方にご来場いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

まず、第1部で小川さんが、賛成反対の対立の先にあるものとして、民主的手続きの回復、人権に基づく対話、目的の共有へを掲げ、これらを実現するものこそが「チェルノブイリ法日本版」であるとお話しされました。                 
その中で、私たちの「郡山の会」を紹介してくださり、私からは、会の立ち上げから現在までの歩み、この15年間における福島の現状、そして今、被災地に必要なのは「チェルノブイリ法日本版」であるという想いをお伝えしました。             
続いて、柳原さん、金澤さんと熱のこもったお話しがあり、聞き入ってしまいました。その後のフリートークでは、参加者の皆さんが日頃から抱えていた想いや、誰かに聞いてほしかったことを率直に吐き出し合える、貴重な時間となりました。

さわいさんのスムーズな進行のおかげで対話が深まり、非常に充実した時間を持つことができました。

閉会直後、その場で「会員になります」と申し出てくださる方が何人もおられ、この集会が持つ意義の深さを確信する一日となりました。

・柳原敏夫
(2度目)「小川晃弘さんの話を聞いて思い直したこと(小川さんとの対話)」
この日の対話集会で、小川さんは、人権団体は星の数ほどあるかもしれないが、福島原発事故の救済について、正面から取り組んでいる団体はないんじゃないか、と指摘しました。この問題意識が彼に日本版の会に参加させる動機のひとつになっていたことも理解しました。
そして、彼の指摘は重たいと思いました。私もまた、311までそうだったからです。私が社会問題に初めて首を突っ込んだのは遺伝子組換え技術(バイオテクノロジー)の暴走に危機感を抱いたからです。そのとき、もうひとつの先端技術である核技術(原発)の暴走が目の前にありました。しかし、これは原発反対の市民が頑張っているからきっと大丈夫だろう、自分は誰も手をつけないバイテクの暴走に向かってもいいだろうと自分を言い聞かせました。しかし、その考えは甘かった。311で文字通り、原発が暴走したからです。
そこで、己の無知を恥じ入ると同時に、自分の取組みをバイテクの暴走から原発の暴走にシフトし、原発事故の救済を教科書に載っている万の議論よりも、福島原発事故というこの1個の生きた事例、人々を途方もない困難で苦難の中にほおり込んだ惨劇と犯罪の中で考え、行動するしかないと態度を変更しました。それが、人権を教科書に載っている万の議論で考えるのではなく、福島原発事故という生きた事例の中で考え、行動することでした。
百十年以上前、世界最初の世界大戦が勃発したとき、それまで社会正義を唱えていた星の数ほどあった社会主義団体がこぞって「祖国防衛」に転じ、市民の合法的大量殺戮(=戦争)を追認しました。原発事故は戦争です。原発事故が発生したときにも「祖国防衛=祖国の経済復興」が声高に唱えられ、経済復興の非協力者は非国民扱いされました。そして、市民の被ばくによる大量健康被害が追認されました。これ以上の人権侵害はない、これ以上の残虐な犯罪はない。もし(特定の取組みに限らず広い取り組みをする)人権団体と名乗るところがそれと向き合おうとしないのであれば、その人権団体は「祖国防衛団体」と改名したほうが歴史の審判を受ける上で分りやすいのではないか、と自戒の念を込めて思いました。

・小川晃弘
私たち「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」では、2018年の立ち上げ以来、全国各地で学習会を重ねてきました。しかし、これまでの活動が一方通行になりがちだったという反省を踏まえ、今回初めて「対話集会」を企画しました。日本版をどのように実現すればよいのか、学びを重ね、試行錯誤しながらこの運動を作り上げてくる中で、私たちがようやくたどり着いたのが「人権」という視点でした。
今回、事故当時に双葉町に住んでいらした参加者の方から、「これまで人権侵害されていると考えたことはなかった(が、これは人権の問題なのだと気づいた)」という言葉をいただいた時、私たちの運動のスタンスは間違っていなかったと確信することができました。さらに、「人権を突き詰めていけば、結局のところ原発は推進できない」という他の参加者からの言葉も深く胸に響きました。
これまで私たちは、核災害が起きた際には誰もが被害者になりうるという「潜在的被害者としての共通性」を運動の鍵の一つに据えてきました。しかし今回の対話を通じ、除染作業に関わる人々やウラン鉱山で働く人々など、あらゆる人の命と健康を守らなければならないという、より広い人権の視点に私自身も改めて気づかされました。
こうした対話集会を、今後も全国各地で続けていきたいと考えています。私たちの活動に賛同してくださる方、当会宛て(toshiko_english@xf7.so-net.ne.jpか090-8494-3856〔岡田〕)にぜひご連絡をいただけますと幸いです。


・柳原敏夫 「人権について、市民と初めて対話が成立した日」
私は、2年前の正月に、人権の価値を発見したと気づいて以来(その報告の1つ>こちら)、今年1月9日の避難者追出し裁判の最高裁判決で、「人権の重要性に照らして内掘福島県知事決定は違法である」と判断した三浦守意見が私にとって、人権について対話が成立した初めての経験だった(その報告>こちら)。
ただし、その対話の相手は法律家であって、一般の市民ではなかった。一般の市民の人たちの中から、人権について対話が成立したのがこの日が初めてだった。だから、私は集会のラストでその感動について言わないでおれなかった(>こちら)。

集会の後半(第2回目)の第3部で、双葉町から避難した若者が参加し、発言しました。それは311で自分が被害に遭っているとは感じてきたけれど、それが人権侵害だとは知らなかった、それに今日、気がついた、というものでした。実は、私はそのような気づきの対話がしたくて、今日の準備をしてきたのです。自ら手を挙げて発言をした彼女のストレートな言葉を聞いて、この人は「さなぎが蝶に羽化する瞬間のように生き直そうとしている」と思えて、本当によかった、このことだけでも今日の対話集会をやった甲斐があったと思いました。
同時にそれは、私自身にとっても、人権に対する、もう一度、新たな気づきでした。本日の集会の準備をしていた前夜、5年前に3回目の総会を終えたときに気がついたことをニュースレター第4号に書いていた(>こちら)のを読み直し、本当にそうだ、悲惨な被害に遭うこととそれが人権侵害だと理解することとは別物なのだ、人権のメガネをかけない限り、人権侵害は見えない、人権侵害が見えない限り、チェルノブイリ法日本版の制定という人権救済のアクションにも出れない、それを合点したことを、本日の集会の彼女の発言で、まざまざと思い出したので、それを以下に再掲しようと思った。

人権はこれを保障する憲法が制定されたから私たちの目の前に存在するものではありません。私たちが発見して初めて存在するものです。なぜなら、人権の本質であり出発点である「個人の尊厳」つまり、どんな地位、職業、社会的評価であろうとそれに関係なく、この世に同じ人間は二人といない、ゆえにひとりひとりの存在こそ至高の価値を有し尊い存在なのだという「個人の尊厳」は、事実として自然に存在するものではなく、私たちが「価値(理念)」というメガネをかけたとき初めて見出しうるもの、人間が「考える葦」になったとき初めて発見できるものだからです。

なおかつ、人権宣言の歴史が教えることは、私たちはいきなり「人権を発見」することはできないということです。いつも最初に発見するのは「人権侵害」です。だからといって、私たちは目の前にいくら悲惨な被害という現実を積み上げていったとしても、それで「人権侵害」に自然に辿り着く訳ではありません。「人権侵害」に辿り着くためには、目の前の悲惨な被害という現実に対し、私たちの心の中で「私たちを人間として扱え!」という声が私たちの心の中から沸きあがる必要があるからです。その意味で、「人権侵害」も(自然に見えるものではばく)発見するほかないものです。

放射能による健康被害という未曾有の惨禍に対し、放射能災害における人権保障という観点から救済を定めたのがチェルノブイリ法日本版です。しかし、この法律の意義を理解するためには、放射能による健康被害という現実を「人権侵害」としてとらえ直すことが不可欠です。それは私たちが「考える葦」になったとき初めて発見できるものなのです。



【報告続き】7.12対話集会の続き(2)「自己決定(自主避難)したことを人権侵害を甘受する根拠にできるのか」について沢山の人たちと対話したい(26.7.26)

7.12対話集会に九州から参加した人がこういう趣旨のことを言ったーー自分は千葉から九州に避難したが、或る有名人から、自分みたいに自主避難した人のことを「頭のおかしい人がいる」と相手にもされない扱いを受けた、自分は被災者(被害者)として認められなかったと。 その有名人は私のかつての...