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2018年12月2日日曜日

【報告】福島県郡山市、12月1日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--3.11ショックに対抗する、もう1つの『あべこべ』は可能だ--」

郡山発。福島県で最初の、市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会。

12月1日(土)、福島県で初めて、市内に今なおフレコンバックが放置、モニタリングポストの値が駅前の東口と西口でかなり違う郡山市の「ウェルフェアカフェ」で、市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会をやりました。
≪本日の抱負≫
パレスチナ系アメリカ人の人権活動家・文芸批評家エドワード・サイードの座右の銘
認識において悲観主義者、意志において楽観主義者であれ。」
サイードに倣って、情け容赦のない徹底した認識をめざす。
放射能=「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」を認識するためには、視差(ズレ)の中で考えるしかない。                  
A.時間的な視差: 3.11以前と以後との対比
B.場所的な視差: チェルノブイリと福島との対比
C.人的な視差: 「政府要人・自治体要人・原子力ムラ住民とその家族」と一般市民との対比 
その仮借ない認識を推し進めた結果、現実を変革する可能性の萌芽が見える瞬間が訪れる。そのとき、
「ここがロードスだ、ここで跳べ!」→それが市民立法「チェルノブイリ法」日本版。


会場の福祉カフェ「ウェルフェアカフェ

当日の午前10時、郡山駅に到着。主催者で賛助会員の橋本あきさんから郡山市内を案内してもらいました。橋本さん曰く、駅の東西のモニタリングポストの値がかなりちがう、と。早速、測定してもらったところ、
持参した線量計だと、東西とも毎時0.2マイクロシーベルト(年で1.75ミリシーベルト)、ところが東口のモニタリングポストは0.185マイクロシーベルト/時で、繁華街の西口は0.136マイクロシーベルト/時というちがい。
                    郡山駅東口(12月1日午前10時半)

                    郡山駅西口(12月1日午後6時)

駅から直行したのが行健小学校(通報の幕の前は毎時0.16マイクロシーベルト)。

2012年当時、父兄の協力で、この学校で山内知也神戸大学大学院教授が測定を行い、意見書を作成、裁判所に提出。当時、話題だった、測定値がちがう富士電気とライノテック社の2台のモニタリングポストが設置されていた場所の1つ(左が文科省お墨付きポスト。右が落第ポスト)。

6年後の2018年、40%高い値を表示するモニタリングポストは撤去されていました。

次に向かったのが 行健小学校の南にある久保田公園。ここは2012年11月から始まった一般住宅等の本格除染で生じた放射性汚染土壌などを埋める郡山市内21箇所の仮置き場の1つとされた場所です(下の図右の青いの12)。しかも、そこは仮置き場を示す掲示板は置かれていませんでした。
 公園の表面が真新しい土に覆われていることが一目で分かる。
 案内してくれた橋本さんによると、この仮置き場に埋められていた放射性汚染土壌などを入れたフレコックは掘り返され、その上に山の土をかぶせたものだという。移動先は、21箇所の仮置き場の1つ「東山霊園※)」(上の地図の右の橙のの16)。
この真新しい土の値は、毎時0.24マイクロシーベルト(年で2.1ミリシーベルト)。今でもここは、本来、子どもが遊ぶ場所ではない。

※) 市内の仮置き場のフレコンックの移動先になっている東山霊園(先月16日。橋本あきさん提供)


            先祖の霊が眠る脇に積み込まれるフレコック(中央の奥)

           大掛かりな重機を使い、フレックの積み込み作業中。

次の郡山市内のフレコック置き場へ。東北地方で唯一、ウイスキー製造免許を持つと言われている名門酒造メーカー「笹の川酒造」(郡山市笹川1丁目178)のJR東北本線に接する敷地の一角に、フレコンックの長い行列。

 上記の詳細は以下の通り。


上空から見たフレコンバック(Googleマップ)

 「笹の川酒造」の北のJR東北本線の敷地にもフレコンックの長い列。
                  JR郡山貨物ターミナルの一角。
                                  背景の建物は、ビッグパレット福島

 JRのフレコンックと道をはさんで、西側の一角にもフレコンックの集積所。案内の人は塀で覆われて、ここにフレコンックがあるとは知らなかったという。けれど、塀のところどころは黒い網になっていて、そこから中が筒抜け。


 上空から見たフレコンック(Googleマップ) 「笹の川酒造」のフレコンックも近くにあり、ここはちょっとしたフレコンバック団地。

学習会当日まで、主催者は3度、会議を開催し、念入りな準備に励ました。その成果が当日、細部にわたって発揮されました。

 学習会のプログラムは、
1、歌&ギター 関ジョニー&フレンズ

















2、主催者を代表して黒田節子さんの挨拶(以下がその動画)。


3、柳原敏夫の話
4、質疑応答 交流会

会場は以下の通り、満員となりました。

以下、柳原の話の動画とプレゼン資料&配布資料です。

動画
 柳原の話(1)

 
 柳原の話(2)


プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 


配布資料(PDFは->こちら) 
戦争と平和--3.11ショックに対抗する、もう1つの「あべこべ」は可能だ--                          2018.12.01 at 郡山 柳原敏夫
 はじめに――本日の抱負
エドワード・サイードの座右の銘「認識において悲観主義者、意志において楽観主義者であれ。」
サイードに倣って、情け容赦のない徹底した認識をめざす。
放射能=「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」を認識するためには、視差(ズレ)の中で考えるしかない。                  
A.時間的な視差:3.11以前と以後との対比
B.場所的な視差:チェルノブイリと福島との対比
C.人的な視差:「政府要人・自治体要人・原子力ムラ住民とその家族」と一般市民との対比 
その仮借ない認識を推し進めた結果、現実を変革する可能性の萌芽が見える瞬間が訪れる。そのとき、
「ここがロードスだ、ここで跳べ!」→それが市民立法「チェルノブイリ法」日本版。


第1部 戦争

1、原発事故がもたらした最大の謎

原発事故とは何か?何だったのか?何をもたらしたのか?

なぜなら、311以後、明らかにかつてない異変が起きた。にもかかわらず、その意味も原因もよく分からないまま――その理由は福島原発事故が何だったのか、その全体像を理解できないからではないか。


2、この謎に最も迫った人のひとり

「スベトラーナ・アレクシエービッチ」‥‥小さき人々の声を残した。

人々はチェルノブイリのことは誰もが忘れたがっています。最初は、チェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、今度は口を閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることは難しい。チェルノブイリは、私たちを、それまでの時代から別の時代へ連れていってしまったのです。その結果、私たちの目の前にあるのは、誰にとっても新しい現実です。‥‥ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。‥‥何度もこんな気がしました。これは未来のことを書き記している

原発事故はこれまでの災害の概念が通用しない。過去に経験したことのない経験をしたのだという新しい意識が必要で、その新しい意識で原発事故と向き合わなければならない。

チェルノブイリ事故で、人々は死がそこにあることを感じました。目に見えない、音も聞こえない、新しい顔をした死を。私は思いました、これは戦争だ。未来の戦争はこんなふうに始まる。でもこれは前代未聞の新しい戦争だ、と。


3、戦争の問題に最も迫った人のひとり

「大岡昇平」‥‥無名の兵士の声、行動を再現した。

ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。(「レイテ戦記」のインタビュー)

「3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、『健康に直ちに影響はない』『国の定めた基準値以下だから心配ない』とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。」


4、3.11福島原発事故とは何か。
単なる事故ではなく、それは事件、政変だった。311以後、私たちは過去に経験したことのない、「見えない異常な時代」に突入した。


5、3.11以後の気分

 打ちのめされ、立ちあがれないくらい落ち込む連続だった。その最大の理由は認識が足りないこと、311以後の現実=「見えない異常な時代」に対する認識が足りないからではないか。


6、3.11以後の課題

 第1に、311以後の未曾有の現実を認識する勇気を持つこと。
第2に、その現実認識に匹敵する理想=「現実を変える行動」とは何かを構想すること。

第3に、単に311以後の現実に対し、単にNOと言うのではなく、YESという理想に向かうこと。


7、3.11以後の現実

「自然と人間の関係」と「人間と人間の関係」を区別して現実を認識する必要がある。


8、「自然と人間の関係」:放射線の被ばくとは何か?

・放射線災害は自然災害とは違う(菅谷昭松本市長)

・年間1mSvとは、「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる状態が1年間続くこと」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))

・即死のレベルである10シーベルトの放射能これを通常のエネルギーに置き換えると10ジュール/kg。これは体温をわずか0.0024度上げるにすぎない。たったこれだけのエネルギーが人間に即死をもたらすのはなぜか?(落合栄一郎さん)


9、「人間と人間の関係」――「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」の世界の出現――

チェルノブイリ事故の「希望」と「犯罪」のうち、希望は用意周到に踏みにじられ、犯罪がより徹底して反復された。

子どもの命・人権を守るはずの者が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者に。

福島県は、甲状腺検査の二次検査で「経過観察」とされた子ども(2018年6月末で3316人)が、その後「悪性ないし悪性疑い」が発見されても、その症例数を公表しない。

加害者(加害責任を負う日本政府)が救済者の面をして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒。

被害者(避難者も残留者も)は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害→密猟者が狩場の番人を。盗人が警察官を演じている。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる



第2部 平和

1、3.11以後の課題
「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」という未曾有の異常事態をただすこと。

→そのエッセンスはシンプル。「私たちの運命は私たちが決める」「おかした誤りは放置せず、ただす」


2、3.11以後の具体的課題「被ばくから命・健康と生活を守るための4つの市民アクション」

①.国内-チェルノブイリ法に匹敵するチェルノブイリ法日本版(原発事故避難の権利法)の制定

②.国際1-チェルノブイリ法に匹敵するチェルノブイリ法条約(原発事故避難の権利条約)の成立

③.国際2-(スペイン・アルゼンチンほか)で、日本政府の責任者を「人道上の罪」で刑事告発。

④.生活再建-市民の自主的相互扶助の自立組織=社会的経済・連帯経済(協同組合、ワーカーズ、市民バンク、市民通貨)の創設


3、311以後の「あべこべ」をただし、正常化に向かう道

過去の災害の経験や考えが通用しない原発事故の本質を理解するための「認識の目覚め」に努め、「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」を作り出す必要がある。

「新しい形式の戦争」にふさわしく、「新しい内容と形式を備えた平和(救済)」が必要。

→それが、放射能に対する健康被害を「予防原則」に立って救済を定めたチェルノブイリ法日本版。


4、3.11以後の正常化はいかにして可能か過去を変えることを通じて――

 未来は変えられるか? 可能である。なぜなら過去は変えられるから。

 311以後、明らかになったこと→職業的専門家にお任せの「間接民主主義の機能不全・破綻」

 311以後の異常事態を是正する道、その可能性の中心は「もうひとつのあべこべ」として出現した「市民の自己統治」(直接民主主義・連帯経済)の中にある。

 そのために、私たちは「過去を変える」必要がある。
2016年来日したアレクシエービッチさんは言った「日本には抵抗の文化がない」

しかし、彼女は公式の日本史しか知らない。私達の過去には輝かしい抵抗の文化があり、埋もれている。

1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。

 1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動


 1969年、歴史的な公害国会を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動

 1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト

 1997年、市民主導で成立した最初の条約、対人地雷禁止条約の成立。 


 2017年、市民主導で成立した2番目の条約、核兵器禁止条約の成立。



5、次は我々の番だ。

2018年3月、チェルノブイリ法日本版制定を進める市民運動の組織として、「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」がスタート。

 次は日本各地で、NOではなく、YESという抵抗のアクションを起す、クラークとベラルーシ出身の画家シャガールに倣って。

成年よ、抵抗を抱け。

最初から失敗することがわかっているような冒険でも、そこがパリであれば、

冒険を冒す価値がある。それがパリだ。


2018.12.01
 
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