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2026年7月25日土曜日

【報告続き】7.12対話集会の続き「人権活動家よりも、人権を信じない小出さんと共にいたい」について沢山の人たちと対話したい(26.7.25)

   2018年3月、チェルノブイリ法日本版の会結成集会に参加した小出裕章さん


7月12日の対話集会に参加された人と、その後、お会いしたり、メールで、当日の話題について対話を重ねていて、
以下は、その方から、小出裕章さんの「人権」についての対話をご存知ですか?と問いかけられ、それに対する私のコメントです。
これは私たち2人の対話にとどまらない、7.12集会の根本に関わることなので、ここに掲載させてもらいました。
私は、こうした対話を今、日本中の市民としたい、そう心から願っています。

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人権活動家よりも、人権を信じない小出さんと共にいたい。

                         柳原敏夫

7月12日の対話集会、私は、50歳半ばまでずっとブル弁(ブルジョア弁護士)の仕事をしてきたことを喋った。ブル弁を続けてきた消極的な理由として既成の人権活動家に対する不信があった。彼らが振りかざす「人権」がどうしてもなじめず、どこか信用できないと直感的に感じていて、なかなかそこに向かう気がしなかったからだ。人権をうさんくさいものと感じる私の気分を代弁していると思ったのが、人権なんてないと断言した小出さんの次の発言だった。
小出 放射線は少量でも生命体に必ず影響を与えます。だから障害をもった子どもが必ず生まれてくることを前提に差別の問題を考える必要があると思います。
槌田 生きていく上で差別されない人権があると思います。
小出 僕は人権という言葉は嫌いです。人間の権利なんてない。生き物としてどう生きるか死ぬかだけです。
                 『原発事故後の日本を生きるということ』(2012年11月

私もまた、50歳半ばまで、この世には生き物としてどう生きるか死ぬかという「事実」しかない、人権なんて存在しないのだと思っていた。人権とか憲法とか、さらには法律とかは結局のところ、自分たちの利害打算、政策を尤もらしく正当化するための意味づけ=大義名分=イデオロギーにすぎず、世界をリアルに把握するためにはイデオロギーによる「意味づけ」をはぎ取って、「意味」という白粉でお化粧される前の、地肌の「事実」に向かうしかないと確信していたからだ。ところが、そのリアルな認識はブル弁として著作権ビジネスの世界にドップリ漬かって仕事をする中で、自分でも思いもよらない形で揺らいでいったーー24時間金儲けしか考えない著作権ビジネスの経営者(これが私のお客だった)の政策のために、クリエーター、アーティストたちがドブネズミのように扱われ、ポイ捨てされる「事実」を前にして、これが「弱肉強食」の資本制社会の現実なのだと受け止めることでは済まなくなって、いくら何でもさすがにその扱いはおかしいんじゃないかと、なぜなら、彼らこそ作品という価値を創造した源泉なのに、その価値創造に相応しい扱いがされていないじゃないかと、そこから、思いがけず、「彼らを人間として扱え!」という抗議の声が自分の心の底から沸きあがって来るのを押さえられなくなったからである。
そのとき、この思いがけず沸きあがって来た声もまた「事実」だった。だが、それはこれまで見てきた「事実」とは明らかに異なる「事実」だった。いわば、それは人々を
ドブネズミのように扱うエグイ「事実」の積み重ねの中から生成されてきた叫び、そしてそれは私にとって疑う余地のない「価値判断」の叫びだった。あとになって、このような「価値判断」の叫びのことを「人権」と呼ぶのだと教えられた時、私は素直に納得した。そして、この叫びを尊重するのが「人権」を尊重することなら、この意味でなら「人権」は存在する、ずっと「人権」のそばにいたいと思った。
これまで、私の前にあった、手垢に汚れた「ありきたりの道徳教訓」としての
「人権」が、この時、人間がどんなに迫害され、どんなに虫けらのように扱われてもこれだけはどうしても手放すことができないものとして「人間の証(あかし)」として、全く新しい姿で目の前に再登場してきた。これが、ブル弁の私が人権を「再発見」した最初だった。
そして、このような人権のあり方を映画にしたのが、最初、金儲けの手段としてユダヤ人を利用しようと企んでておきながら、その後に、それとは正反対の「ユダヤ人の命を救うために全財産を投げ出してしまった」という不可解、奇妙奇天烈な行動に出たナチス党員シンドラを描いた「シンドラーのリスト」だということを「再発見」した。
そしたら、30年以上前、高校時代にクソ授業に我慢出来ず、授業をサボりまくって、担任から「
授業をサボるんなら退学しろ」と勧告されたとき、怒り骨髄に達して猛反発した経験を思い出し、この時、「まともな学びをしたいと思っているオレを人間として扱え!」という抗議の声が自分の心の底から沸きあがらないではおれなかったということを合点し、この叫びが「自分にまっとうな授業を受けさせろ」という「教育を受ける権利」の人権を求める叫びだったことを「発見」した。
このとき、人権はそこらへんにころがっているのを「見る」のではなく、自分自身で「発見」するしかないものだということに気がついた。

そのあと、私は、「人権」「人権」を言う既成の人権活動家よりは、「人権」は嫌いだ、この世には生き物としてどう生きるか死ぬかという「事実」しかないという小出さんと共にいたいと思った。その上で、その「事実」を突き詰める果てに、その「事実」から生成される、「人間として扱え!」と叫ばずにおれない叫び、この叫び声という「事実」を「人権」として「発見」することが可能であり、小出さんもまた、意識せずに、無意識のうちにその「発見」をして、その叫びを日頃から口にしている人なのではないかと思った。


くり返すと、
この世で人権を見た人は誰もいない。人権に触った人もひとりもいない。その意味で人権は存在しない。にもかかわらず、人権は存在する。では、どんな風にして?ーー人権は事実を突き詰める中から、具体的には人権侵害というおぞましい「事実」とあらがう中で、人権侵害を否定しないではおれない叫びとして生成される。その叫び声が事実から生成された人権。
例えば、世界最初の人権とされる宗教の自由。だが、これは人々が宗教の自由を尊重した結果、出現したものではない。それは、自分と異なる宗教を信仰する人々を異端、悪魔と激しく排斥する宗教戦争をやり抜いて、情け容赦ない殺戮の「事実」の果てに、それに対する猛烈な自省から、人々は自分と異なる信仰に対する寛容の必要性・重要性に目覚めた。この新たな「事実」、それが「宗教的寛容」であり、この宗教的寛容が人権(=宗教の自由)として出現した。

    サンバルテルミの虐殺『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書』p.242(世界史の窓

これに対し、この生成過程を離れて、誰もが反対できない、単なるお題目として人権を振りかざすとき、その時、人権の生命は「死滅」する。
政府が広報する人権はもとより、自分の周りで耳にする人権はその類のものが多すぎる。
もっと早く、人権のこの本来の生成過程を知ったなら、私は、ためらわずに、とっとと、ブル弁から人権弁に向かうことができたのにと思う。
今、日本社会に、この「人権の発見のための対話」の場が、切実に求められている。
チェルノブイリ法日本版の会(の少なくとも私)は、日本の市民と、そのような
「人権の発見のための対話」をすることを心から願っています。

2026年7月14日火曜日

【報告】「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」ーー311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための7月12日(日)の報告&対話集会(26.7.14)

「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会を東中野のポレポレで、7月12日(日)の12時と14時半と各2時間ずつ、2部制で行ないました(>そのお知らせのチラシ)。

当日は1回目、2回目とも盛況で、遠くカナダ・米国、イタリア、九州、青森からも参加があり、原発事故は国境なきカタストロフィ(惨劇)であることを実感しました。また、当日、この対話集会を知って、申し込んでくれた方もいました。
第三部の対話の部分は非公開ですが、そのほかの報告の第一部・第二部の動画とパワポ資料、第三部の冒頭のゲスト金澤伶さんの発言は以下です。

第1回目(司会:さわいめぐみさん)
第1部(登壇者:小川晃弘・郷田みほ)


パワポ資料(全文>PDF


後半に登壇した郷田みほの話は、2018年12月、日本版の会で初めて福島県(郡山市)で開いた学習会の内容についてです。その時の動画、プレゼン資料(>全文のPDF)は以下です。

【報告】福島県郡山市、12月1日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--3.11ショックに対抗する、もう1つの『あべこべ』は可能だ--」(2018.12.2)


第2部(登壇者:柳原敏夫)


パワポ資料(全文>PDF














事前の資料 
人権についてのつぶやき(0):7.12集会に向けて:「原発事故に人権を! さりとて、人権っていうけど、それが何なのか、実はよく分らない」 を受けて(26.7.1)
・人権は絵空事、唐人の寝言か? >第17話
人権に力があるとしたら、それはどんな風な力なのか? 第18話
人権の(歴史的な)起源はどこにあるのか? 第19話
人権の限界はどこにあるのか? 第20話
・人権と向き合うとは
どういうことか第21話
・人権の未来は人権の起源にある? >第22話


第3部 対話編 冒頭の感想(ゲストの金澤伶さん)


第2回目(司会:さわいめぐみさん)
第1部(登壇者:小川晃弘・郷田みほ)



第2部(登壇者:柳原敏夫)


ラストの締めくくり(小川晃宏と柳原敏夫)


集会を終わって参加者の感想(順次、アップします)。

・柳原敏夫
(3度目)「人権活動家よりも、人権を信じない小出さんと共にいたい」
  
長文のため、こちら

・さわいめぐみ
(司会)
私たちが語り合うことの意味は、なんだろう。

あれだけの大きな原発事故があって、15年経った今も収束していない中、政府はさらに原発の新増設を進めています。私たちが経験したことの意味は、なんだったのか。問いは、今もなお、現在進行形で続いています。

それぞれが、自分自身の気持ちを、心の深いところから獲得し、ともに「分かち合う」ことができたなら、と思います。

辛いことを、辛いと言えること。
嫌なことは、やらなくていいこと。
正しさを競うのではなく、自分自身の弱さをこそ、開示できること。

そういった対話の場をたくさん作ることができたら、原発という不合理な仕組みが、今もこうしてまかり通ってしまうのはなぜなのか、その答えが見つかるのではないか。ただ分かち合うこと、そのことが、原発を進める偏った権力を見直し、その引力をバランスさせていくことができるようになるのではないか。対話の力を、そんな風にも感じています。

対話を重ねることによって「私はこのように生きていきたかったんだ」という、心の底からの願いを獲得し、その心で生きていくことができる社会を、共に作っていけたら——そう、再び希望を胸に抱き直すような場でした。

またお会いしましょう。
ありがとうございました。


伊藤とも子(脱被ばく実現ネット)

 原発事故以降、被害に遭った私たちの「人権」も消失したように感じていました。日本政府は不都合な事実を隠蔽し、被害者である私たちへの抑圧と人権侵害がまかり通り、オーウェルの「1984年」の中にいるような、失望と無力感がありました。放射能汚染下の「復興」という、健康被害を全く考慮しない、異常事態が“日常”になり、空気中の放射性物質の存在は―――考えない方が「楽」に誘導されてしまいます。

この対話集会では様々な方々が、原発事故以降の心の中にある感情を率直に話す事ができ、共有できたのが大きかったと思います。「チェルノブイリ法日本版」に向けて郡山で地道に活動されている報告や高校の先生が生徒の皆さんに「真実」を伝えようとしている姿勢に感銘を受けました。

長崎で被爆した故美輪明宏さんは「愛があれば戦争なんか起こりません」という信念をお持ちだったとか。「愛」という言葉には気恥ずかしさも感じますが「現状を変え得るほどの強いあたたかな感情」と思えば、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の活動も美輪さんの信念に通じるところ――があるように思えます。

・岡田俊子
(主催者スタッフ。日本版の協同代表)
7.12の対話集会、凄く良かったので又やってほしいと参加者の方々から言われ、又facebookでのコメント欄には、 参加したかった、残念。~と言う方も。
又やってくれるみたいだから大丈夫よ~とコメントしてくれている方。
準備は大変でしたが、当日の開始ギリギリまで申込みの連絡も頂き、本当に嬉しい悲鳴でした。
年2回行っている新宿デモ(主催:脱被ばく実現ネット)に参加して下さり、ここ数回はコーラーまでお願いして親しくさせて頂いている新宿区議の「沢居めぐみ」さん。
忙しい沢居さんに、今回はこの企画にご一緒して貰いたく打診し、快く受けて頂きました。柳原さん、小川さんと一緒に彼女に会いに行ったり、zoomでも何度か打ち合わせをして準備を進めました。
美大を出ていらっしゃる彼女が作成して下さったチラシは、流石でした。
そして当日の司会は、とても素晴らしく、沢居さんにお願いして本当に良かったと思いました。
ゲストとしてお話して頂いた大学生の金澤伶さんは色々な活動で頑張っていらっしゃいます。チェルノブイリ日本版にも関心を持って下さり、今後がとても楽しみです。
第3部の会場の皆さんとの対話の動画は非公開ですが、色々な方のお話が聞け、特に若者達の発言はとても 私達の心に響くものでした。 
これからも多くの若者達とも繋がり、残された時間を私が出来る限りの事を仲間達と一緒に楽しみながら進んで行きたいと思います。


・郷田みほ
市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会による「第1回対話集会」が、7月12日に東中野の「ポレポレ座 space&cafe」で開催されました。

初の試みということもあり、当初は思うように集客ができず心配していましたが、直前になって問い合わせが増え、前日の新宿アピールでチラシを受け取ってくれた方も駆けつけてくださいました。当日は多くの方にご来場いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

まず、第1部で小川さんが、賛成反対の対立の先にあるものとして、民主的手続きの回復、人権に基づく対話、目的の共有へを掲げ、これらを実現するものこそが「チェルノブイリ法日本版」であるとお話しされました。                 
その中で、私たちの「郡山の会」を紹介してくださり、私からは、会の立ち上げから現在までの歩み、この15年間における福島の現状、そして今、被災地に必要なのは「チェルノブイリ法日本版」であるという想いをお伝えしました。             
続いて、柳原さん、金澤さんと熱のこもったお話しがあり、聞き入ってしまいました。その後のフリートークでは、参加者の皆さんが日頃から抱えていた想いや、誰かに聞いてほしかったことを率直に吐き出し合える、貴重な時間となりました。

さわいさんのスムーズな進行のおかげで対話が深まり、非常に充実した時間を持つことができました。

閉会直後、その場で「会員になります」と申し出てくださる方が何人もおられ、この集会が持つ意義の深さを確信する一日となりました。

・柳原敏夫
(2度目)「小川晃弘さんの話を聞いて思い直したこと(小川さんとの対話)」
この日の対話集会で、小川さんは、人権団体は星の数ほどあるかもしれないが、福島原発事故の救済について、正面から取り組んでいる団体はないんじゃないか、と指摘しました。この問題意識が彼に日本版の会に参加させる動機のひとつになっていたことも理解しました。
そして、彼の指摘は重たいと思いました。私もまた、311までそうだったからです。私が社会問題に初めて首を突っ込んだのは遺伝子組換え技術(バイオテクノロジー)の暴走に危機感を抱いたからです。そのとき、もうひとつの先端技術である核技術(原発)の暴走が目の前にありました。しかし、これは原発反対の市民が頑張っているからきっと大丈夫だろう、自分は誰も手をつけないバイテクの暴走に向かってもいいだろうと自分を言い聞かせました。しかし、その考えは甘かった。311で文字通り、原発が暴走したからです。
そこで、己の無知を恥じ入ると同時に、自分の取組みをバイテクの暴走から原発の暴走にシフトし、原発事故の救済を教科書に載っている万の議論よりも、福島原発事故というこの1個の生きた事例、人々を途方もない困難で苦難の中にほおり込んだ惨劇と犯罪の中で考え、行動するしかないと態度を変更しました。それが、人権を教科書に載っている万の議論で考えるのではなく、福島原発事故という生きた事例の中で考え、行動することでした。
百十年以上前、世界最初の世界大戦が勃発したとき、それまで社会正義を唱えていた星の数ほどあった社会主義団体がこぞって「祖国防衛」に転じ、市民の合法的大量殺戮(=戦争)を追認しました。原発事故は戦争です。原発事故が発生したときにも「祖国防衛=祖国の経済復興」が声高に唱えられ、経済復興の非協力者は非国民扱いされました。そして、市民の被ばくによる大量健康被害が追認されました。これ以上の人権侵害はない、これ以上の残虐な犯罪はない。もし(特定の取組みに限らず広い取り組みをする)人権団体と名乗るところがそれと向き合おうとしないのであれば、その人権団体は「祖国防衛団体」と改名したほうが歴史の審判を受ける上で分りやすいのではないか、と自戒の念を込めて思いました。

・小川晃弘
私たち「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」では、2018年の立ち上げ以来、全国各地で学習会を重ねてきました。しかし、これまでの活動が一方通行になりがちだったという反省を踏まえ、今回初めて「対話集会」を企画しました。日本版をどのように実現すればよいのか、学びを重ね、試行錯誤しながらこの運動を作り上げてくる中で、私たちがようやくたどり着いたのが「人権」という視点でした。
今回、事故当時に双葉町に住んでいらした参加者の方から、「これまで人権侵害されていると考えたことはなかった(が、これは人権の問題なのだと気づいた)」という言葉をいただいた時、私たちの運動のスタンスは間違っていなかったと確信することができました。さらに、「人権を突き詰めていけば、結局のところ原発は推進できない」という他の参加者からの言葉も深く胸に響きました。
これまで私たちは、核災害が起きた際には誰もが被害者になりうるという「潜在的被害者としての共通性」を運動の鍵の一つに据えてきました。しかし今回の対話を通じ、除染作業に関わる人々やウラン鉱山で働く人々など、あらゆる人の命と健康を守らなければならないという、より広い人権の視点に私自身も改めて気づかされました。
こうした対話集会を、今後も全国各地で続けていきたいと考えています。私たちの活動に賛同してくださる方、当会宛て(toshiko_english@xf7.so-net.ne.jpか090-8494-3856〔岡田〕)にぜひご連絡をいただけますと幸いです。


・柳原敏夫 「人権について、市民と初めて対話が成立した日」
私は、2年前の正月に、人権の価値を発見したと気づいて以来(その報告の1つ>こちら)、今年1月9日の避難者追出し裁判の最高裁判決で、「人権の重要性に照らして内掘福島県知事決定は違法である」と判断した三浦守意見が私にとって、人権について対話が成立した初めての経験だった(その報告>こちら)。
ただし、その対話の相手は法律家であって、一般の市民ではなかった。一般の市民の人たちの中から、人権について対話が成立したのがこの日が初めてだった。だから、私は集会のラストでその感動について言わないでおれなかった(>こちら)。

集会の後半(第2回目)の第3部で、双葉町から避難した若者が参加し、発言しました。それは311で自分が被害に遭っているとは感じてきたけれど、それが人権侵害だとは知らなかった、それに今日、気がついた、というものでした。実は、私はそのような気づきの対話がしたくて、今日の準備をしてきたのです。自ら手を挙げて発言をした彼女のストレートな言葉を聞いて、この人は「さなぎが蝶に羽化する瞬間のように生き直そうとしている」と思えて、本当によかった、このことだけでも今日の対話集会をやった甲斐があったと思いました。
同時にそれは、私自身にとっても、人権に対する、もう一度、新たな気づきでした。本日の集会の準備をしていた前夜、5年前に3回目の総会を終えたときに気がついたことをニュースレター第4号に書いていた(>こちら)のを読み直し、本当にそうだ、悲惨な被害に遭うこととそれが人権侵害だと理解することとは別物なのだ、人権のメガネをかけない限り、人権侵害は見えない、人権侵害が見えない限り、チェルノブイリ法日本版の制定という人権救済のアクションにも出れない、それを合点したことを、本日の集会の彼女の発言で、まざまざと思い出したので、それを以下に再掲しようと思った。

人権はこれを保障する憲法が制定されたから私たちの目の前に存在するものではありません。私たちが発見して初めて存在するものです。なぜなら、人権の本質であり出発点である「個人の尊厳」つまり、どんな地位、職業、社会的評価であろうとそれに関係なく、この世に同じ人間は二人といない、ゆえにひとりひとりの存在こそ至高の価値を有し尊い存在なのだという「個人の尊厳」は、事実として自然に存在するものではなく、私たちが「価値(理念)」というメガネをかけたとき初めて見出しうるもの、人間が「考える葦」になったとき初めて発見できるものだからです。

なおかつ、人権宣言の歴史が教えることは、私たちはいきなり「人権を発見」することはできないということです。いつも最初に発見するのは「人権侵害」です。だからといって、私たちは目の前にいくら悲惨な被害という現実を積み上げていったとしても、それで「人権侵害」に自然に辿り着く訳ではありません。「人権侵害」に辿り着くためには、目の前の悲惨な被害という現実に対し、私たちの心の中で「私たちを人間として扱え!」という声が私たちの心の中から沸きあがる必要があるからです。その意味で、「人権侵害」も(自然に見えるものではばく)発見するほかないものです。

放射能による健康被害という未曾有の惨禍に対し、放射能災害における人権保障という観点から救済を定めたのがチェルノブイリ法日本版です。しかし、この法律の意義を理解するためには、放射能による健康被害という現実を「人権侵害」としてとらえ直すことが不可欠です。それは私たちが「考える葦」になったとき初めて発見できるものなのです。



2026年5月30日土曜日

【お知らせ】「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」ーー311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための7月12日(日)の報告&対話集会(26.5.30)

チラシ(>PDF版)。 14時半開始の開場時間が14時15分に変更になりました。

      

今年7月12日(日)12時から16時半まで、二部入替え制(正午開始と14時半開始)で、中野区東中野のSpace&Cafeポレポレ座で、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するため、チェルノブイリ法日本版の条例制定の必要性・可能性についての対話集会を開きます。

それは、311原発事故の唯一無二、痛切な体験をした私たちが、311後に見えないゴミ屋敷と化した、にもかかわらず何一つ解決しないままネグレクト(放置)されている日本社会をどう再建するのかについて、人権の観点からチェルノブイリ法日本版の条例制定による再建の必要性、その可能性について報告と対話をするものです。

前半の2人の報告者(小川晃弘・柳原敏夫)は、ともに2年前、「政治・政策からの人権へシフト」という観点からブックレット「わたしたちは見ている」を編集・出版した者です(出版当時のコメント>こちら)。
また、柳原にとって、当日の報告は、5月23日のチェルノブイリから40年目の講演とパネルディスカッション「チェルノブイリと福島 何が問われているのか」で行なった報告の続編です(詳細は末尾)。

後半の対話で報告者に加えて登壇されるお二人は、新宿区議のさわいめぐみ(沢居 恵美)さん、学費値上げ問題や差別排外主義反対などに活発に取り組んでいる大学院生の金澤伶さんです。

参加方法は予約制ですが、当日の開始時間、予約方法などの詳細は>チラシ
また、この対話集会の伴走者のメッセージは>こちら
311後の日本社会の再建を「わたしたちは見ている」と感じておられる方々が「参加」することを望んでいます。

5月23日のイベントの際の動画

プレゼン資料 全文>PDF

配布資料 全文>PDF



【お知らせ】ニュースレター第13号の補足(菅谷昭さん、矢ヶ崎克馬さん、落合栄一郎さん) (2026.5.29)

上記のニュースレター第13号で、新会員紹介として菅谷昭さんと落合栄一郎さんのお二人をご紹介しました。このうち、菅谷昭さんがどのような方で、どのような経緯で当会に参加されたかを紹介しました(その文は>こちら)が、落合栄一郎さんについては、ご本人から入会にあたっての思いを書いていただいたので、それ以上、どのような方で、どのような経緯で当会に参加されたかについては特に紹介しませんでした。
しかし、この点に関心を持つ方がおられたので、以下に簡単に記します。

落合栄一郎さんのプロフィール
  2023年に帰国された際の学習会の以下のチラシに記載の通り。さらに詳細(主に戦争体験)を知りたいときは>こちら


落合栄一郎さんの入会の経緯
 昨年2025年暮れ、東京で久々にお会いし(以下の右端)

そのあと、落合さんから以下のメールをいただきました。

日本で今、福島問題に真剣に携わっておられる皆さんに会えて、遠くから見ているとは違った、直接的な関わりが、少し持てたかなといった感じができました。お会いできて良かったです。どうか、今後も頑張ってください。

それに対し、柳原から落合さんに以下のメールを差し上げたところ、

ご丁寧で率直な心情を吐露していただいたメールを、ありがとうございました。
    それを読み、先日、じかにお会いした時のことを思い出し、今日は折り入って以下のことをご相談させて下さい。

    私は、市民運動の原理「組織ではなく運動である」と思っているので(べ平連の考え方ですが)、これまで、市民運動の団体に落合さんにも入ってもらおうとは特に思ってきませんでした。
    他方、先日、東京でお会いして、放射線と人体の関係について、これからも落合さんから自然科学者としてベースになる基本的な考え方から放射線の最先端のことまで、きちんと学ばせてもらいたいと思ったとき、それはただの知的好奇心ではなく、市民運動であるチェルノブイリ法日本版を制定させるために必須の取り組みと考えていました。
    それで、私のこのリクエストに対し落合さんがいいですよと応えて頂いた時、私は心から落合さんを同志のように感じました。
    それで、だったら、落合さんに、この同志的な関係をカタチにすることも許されるのではないかと思い、落合さんに、私が参加している「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会」(略称:日本版の会)という市民運動の団体に参加していただけませんかと思うようになりました。
    日本版の会が「市民が育てる……」と言う時、それは世界市民を意味しています。だから、世界市民である落合さんは私どもの会のメンバーとして最も相応しい方です。そして、メンバーになって頂きたい理由は私どもの会に所属することに意味があるのではなくて、新たな世界市民運動を展開するアクションを一緒に起こすためです。その点に賛同いただけるようでしたら、ぜひ、私どもと一緒に日本版の会で行動(とはいっても、その内容は各自各様で、無理ない範囲での行動です)を共にさせて下さい。

    先日の東京でお会いした時のような同志的な関係を、今後とも大事にしていけたらと心から思っています。ご検討をどうぞよろしくお願い致します。

落合さんから以下の快諾の返信を頂き、入会されました。

お誘いありがとうございます。私のような人間(年齢、外国住まい)に何か寄与できることがあるのかわかりませんが、私にできることがあれば、いたします。ということで、参加します。

菅谷昭さんのプロフィール

日本版の会のことを知っていて、菅谷昭さんのプロフィールを知らないというのは想像できない話なのですが、13号のニュースレター2頁でご紹介した通り、

松本市長時代、311直後から、福島県の子どもたちの被ばく影響を憂慮し、国策として集団疎開の必要性を正面から訴えた日本の自治体の唯一の首長です。
 
それ以外の情報は例えばこちらを参照下さい>新潮社 幻冬舎 ウィキペディア


矢ヶ崎克馬さん
のプロフィール

 ニュースレター第13号文を寄せて頂いた矢ヶ崎克馬さんについても、プロフィールの問い合わせがありましたので、例えば 岩波書店 ウィキペディア

矢ヶ崎克馬さんは2021年9月に正会員になりました。以下は、その時に、メーリングリストに投稿した柳原からの紹介文です。
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申し訳ありません、ここでは極めて異例ですが、矢ヶ﨑さんのご紹介として、以下に311の私の個人的な経験を書かせて頂きました。

私は、現在付き合いのある人たちの99%は311以後に知り合った人ですが、その一番最初に出会った人が矢ヶ﨑さんでした。
311原発の事故の後、2ヶ月間、自宅に引きこもりになり、そのあと、初めて外出した先が(初めて訪れた)郡山市でした。
郡山市で、矢ヶ﨑さんが講演するとネットで知ったからです(以下の動画です)。

内部被曝を避けるために――怒りを胸に、楽天性を保って、最大防御を
 
その1ヵ月後に、ふくしま集団疎開裁判を福島地裁郡山支部に申立たとき、その申立に同行し、記者会見でも熱心に参加したのが元筑波大教授の生井兵治さん(動画>こちら)で、 
当時、弁護団はこの裁判に協力してくれる科学者を一人も知らず、その惨状を見るに見かねて、生井さんがご紹介してくれたのが、矢ヶ﨑さんでした。
地獄で仏に出会うとはこのことでして、わらをもすがる思いで、それ以来ずっと、ふくしま集団疎開裁判に献身的に協力して頂きました。

なかでも、今でも鮮明に覚えていることは、ふくしま集団疎開裁判は通常の裁判ではなく、仮処分という緊急の手続でしたので、9月9日の3回目の審理で審理終結という進行でした。しかし、7月当時から「除染すれば福島にとどまっても大丈夫」という根拠のないキャンペーンが大々的に展開され、裁判所もそれに影響され、このままでは負けるのが必至でした。
そしたら、その直前に想定外の展開が起きました。8月30日に、文科省が、福島県内の土壌汚染調査の結果を発表したのですが、そこに、深刻な汚染データが示されていて、それに着目して、矢ヶ﨑さんが、
郡山市の土壌汚染が同程度の地域として、チェルノブイリの「ルギヌイ地区」を取り上げて、チェルノブイリ事故のあと、この「ルギヌイ地区」で発生した深刻な健康被害が、郡山市でも発生することが予想される、
という見解を示していただいたことです(以下の意見書の3頁)。
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/Yagasaki-opinion.pdf

私は飛び上がって、矢ヶ﨑さんにこれを意見書として書いていただきたいとお願いし、快諾していただきました(末尾の()に、その当時、矢ヶ﨑さんとのやり取りを転載しました)。
私が今でも鮮明に覚えているのは、当初、この日で審理を終結し、結論を出そうと決めていた裁判長が、矢ヶ﨑さんの意見書を読み、それまで抱いていた確信がグラグラと崩れ、もういっぺん、まっさらにして、事態を再検討しなくてはいけないと審理の続行に態度を変更したことです。
中には、煮ても焼いても食えない権力ベッタリのゴリゴリの裁判官もいますが、大半は、自分の出世と自分の良心のはざまで揺れ動いている、或る意味で人間らしい人たちです。この裁判長もそうでした。
福島とチェルノブイリを対比するという矢ヶ﨑さんの意見書は、「自分の出世と自分の良心のはざまで揺れ動いている裁判長の心に直球のボールのように、激しく突き刺さり、彼の良心を揺さぶりました。
この時の経験から、福島をチェルノブイリと対比することを通じて、問題がよりクリアになることを(チェルノブイリ法日本版の原体験ともいうべき)、経験しました。
その結果、審理はやり直しになり、そこから、矢ヶ﨑さんのご紹介で、松井英介さんに、甲状腺疾病以外の様々な健康被害について、当時まだ英語版しかなかった「チェルノブイリ被害の全貌」をもとにして、チェルノブイリ事故との具体的な対比を行なった松井意見書を作成してもらい、
パンダジェフスキー論文による心臓病の発症を警告するバズビー論文やプルトニウムの危険性を警鐘した矢ヶ崎さんの意見書(2)等を作成してもらい、提出しました。
この科学的主張の裏づけの盛り上がりの中で、裁判支援運動にも大きく弾みがつき、黒田さんたちを中心に、10月15日の郡山市デモを企画し、当日は山本太郎さんも参加して、東京新聞にも大きく取り上げられました(以下、その報告)。

https://fukusima-sokai.blogspot.com/2011/10/blog-post_17.html

当時を振り返って改めて思うことは、裁判支援の市民運動の盛り上がりは、科学的主張の裏づけの盛り上がりと両輪の輪の関係にあったことです。
絶体絶命のピンチにあった9月9日の3回目の審理で、矢ヶ﨑さんの意見書が提出できなかったら、ふくしま集団疎開裁判は10月15日の郡山市デモもないまま、あっけなく、線香花火にように終わってしまったと思います。
あそこで、さながら、裁判長の胸倉を掴み「これで審理終結していいのか」と迫った矢ヶ﨑さんの意見書が、そのあとの裁判と支援運動の転換点になったことの意義を、これからも何度も思い起こして、科学的認識と市民運動の実践との両輪に心を砕いて行きたいと思います。

なんか、自分の決意表明みたいになってしまい、スミマセン。

この時を思い起こして、実に無礼、無遠慮、無鉄砲で、思ったこと、分からないこと、感じたことをズケズケ書かせていただきました。
大変失礼をしたこともあったかと思うのですが、しかし、遠慮していては伝わらないことが多々あったはずなので、今後とも、このスタンスで、ズケズケ意見交換させていただけたら幸いです。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


Date: Wed, 7 Sep 2011 10:34:46 +0900 (JST)
To: 沢田 昭二 <‥‥>,矢ヶ崎克馬 <‥‥>
From: Toshio Yanagihara <‥‥>
Subject: [anti20msv:0381] 疎開裁判の最終戦でのお願い(3):昨夜の電話会議と矢ヶ崎先生の陳述書案

沢田 昭二 様
矢ヶ崎 克馬  様

おはようございます、柳原です。

私が別件の裁判の準備で昨日の夕方まで、手が離せず、夜、志賀原発差止を書
いた元裁判長の井戸さんと電話会議をしました。

その結果、最後の勝負を次に賭けようということに決めました。

1、旧ソ連政府がチェルノブイリ原発事故対策として打ち出した避難の基準
(土壌のセシウム汚染濃度により4段階〔強制居住、一時移住、移住権、汚染
地域〕)と、
2、8/30文科省発表の福島原発事故による郡山市の土壌のセシウム汚染濃
度とを対比して、チェルノブイリの避難のどの段階に該当するかを導く。
3、土壌のセシウム汚染濃度と空中線量との(相関)関係に基づいて、債権者
らの通う学校の土壌のセシウム汚染濃度を導く。

そしたら、ちょうどその頃、矢ヶ崎先生から陳述書案が送られてきていまして、
矢ヶ崎先生の意見書案文:ワード
http://www.h6.dion.ne.jp/~noam/f/Yaga.doc
PDF
http://www.h6.dion.ne.jp/~noam/f/Yaga.pdf

それを開いてみたら、私どもの勝負と同じことを書いておられたので、ビック
リ仰天すると同時に大変心強く思った次第です。

矢ヶ崎先生には、是非、この方針で、素人の裁判官向けに、より理解しやすい
ものに仕上げていただけたら幸いに存じます。

澤田先生、昨日、陳述書の書名欄を郵送していただきました。ありがとうござ
います。
これで、9日の裁判のギリギリまで陳述書作成で粘れますので、ひとまずご安
心下さい。

それで、澤田先生の陳述書のアイデアはその後、いかがでしょうか。

基本的に、先生のお考えに私どもは異論はない筈でのすので、思う存分、アイ
デアを展開していただければ幸いです。

ただ、もし差し支えなければ、基本的なアイデアは矢ヶ崎先生と私どもの昨夜
の検討で出ました、上記のアイデアをベースにして、個別具体的な展開をして
いただけたら大変ありがたく思います。

具体的に申しますと、矢ヶ崎先生の分析は、福島市のセシウム汚染データを元
にチェルノブイリ事故と対比されています。

そこで、もし澤田先生の分析が、この裁判の子供等が通う郡山市のセシウム汚
染データを元にチェルノブイリ事故と対比していただけると、大変心強く、ま
さに鬼に金棒です。

具体的に、郡山市のセシウム汚染データは以下の6~8頁にあります。
> 文献C「土壌の核種分析結果(セシウム134、137)について」
>     文科省 2011年8月30日
>       http://p.tl/9Sd8

僭越ながら、私の率直な感想とご相談を申し上げさせていただきました。
失礼がありましたら、どうかお許しください。

このあと、また、ご連絡をさせていただきます。

もうじき裁判で、出かけますので、とりいそぎ、失礼いたします。

-----------------------------------
今日、ひとりで裁判の検討をしていまして、先生に最もお尋ねしたい内容がク
リアになりましたので、お伝えさせて下さい。


それは、この間、疎開裁判の原告の子供たちが3.11以来外部被ばくしてき
た積算値を計算してきました。例えば、
3.12~5.25の75日間だけでも、原告が通う学校の外部被ばくの積算
値は、
3.8~6.67mSv
或いは、さきほど、私の推計ですが、3.12から8月末まで(172日間)
の原告が通う学校の外部被ばくの積算値は、
7.0356~12.94mSv
となります(その計算は別便で)。

そこで、質問です。
1、外部被ばくの積算値が75日間で3.8~6.67mSvのとき、或いは
8月末までに、7.0356~12.94mSvのとき、
これに内部被ばくの観点と放射能の感受性が高い小中学生という年齢を考慮し
て、ガン・白血病等の健康被害を考えた場合、どれくらいの被害が想定される
でしょうか。

2、或いは、チェルノブイリ事故で同様の外部被ばくをした小中学生たちは、
その後、どの程度のガン・白血病等の健康被害に見舞われたのでしょうか。

3、以上のように、内部被ばくの観点を導入し、放射能の感受性が高い小中学
生という年齢を考慮して被ばくによる健康被害を考えたとき、既にこのような
被ばくをした小中学生は、即刻、避難すべきではないでしょうか。

4、チェルノブイリ事故と対比したとき、チェルノブイリで住民が避難すべき
基準(外部被ばく量)というのはどうだったのでしょうか。


スミマセン、とりあえず、私が最も知りたい問題について、お尋ねさせていた
だきました。

もし、これに真正面から答えることができたら、裁判所もきっと認識が大いに
ぐらつくと確信しています。

そこで、先生方の率直なコメント、感想をお聞かせいただけたら幸いです。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

  -----------------------------------------
      柳原敏夫(Toshio Yanagihara)
      E-mail  noam@m6.dion.ne.jp 
    ふくしま集団疎開裁判
   http://fukusima-sokai.blogspot.com/


2026年5月20日水曜日

【お知らせ】ニュースレター第13号の発行 (2026.5.20)

    市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会では、全国各地の会員の日々の取り組み、活動を随時、ニュースレターにして発行、賛助会員その他支援者の皆さんに配布しています。

これまでのニュースレター

     第1号->こちら
     第2号->こちら
     第3号->こちら
     
第4号ー>こちら
     第5号ー>こちら
     第6号ー>こちら
     第7号ー>こちら
     第8号ー>こちら
     第9号->ちら
     第10号ー>こちら
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                   第12号ー>こちら

                   第13号ー>こちら

 

このニュースレターを周りのに配布、拡散したいとご希望の方は

下記(岡田)までご連絡下さい。  

toshiko_english*xf7.so-net.ne.jp(*を@に置き換えてください)

              

2026年4月12日日曜日

【お知らせ】5月23日、チェルノブイリ事故から40年、講演とパネルディスカッション「チェルノブイリと福島 何が問われているのか」(26.4.12)

お知らせ:会場が大教室から「本館2階1201教室」に変更になりました(4月19日)

チェルノブイリ事故から40年、福島原発事故から15年を迎えた今年(2026年)、日本と世界の社会はどこに向かおうとしているのか、今、何が問われているのか。それについて考える以下の講演とパネルディスカッションを5月23日、港区の明治学院大学白金校舎で行います(>以下のチラシのPDF なお、学生は無料)。



今から百年ほど前、中国が国内、国外とも荒廃と滅亡の危機にあった頃、魯迅は次のような文を書きました。
いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない。‥‥
道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。いばらばかりのところに開拓してできたものだ」〔「随感録」(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)〕

もちろん魯迅は核兵器も原発も原発事故も知らない。しかし、311後を経験した者にとっては、魯迅のこの言葉は原発事故後の世界に生きる者のために語られたもののように、胸に突き刺さる。半世紀前、日本社会が公害で荒廃と滅亡の危機にあったとき、この国の支配者も市民も公害の克服に向けて取り組み、曲がりなりにもその危機から脱した。しかし、半世紀後の今日、前例のないカタストロフィ=原発事故で再び日本社会が荒廃と滅亡の危機に陥ったとき、この国の支配者はもはやこの危機を克服することを止め、日本社会が病気と人権侵害のゴミ屋敷に朽ちることを放置(ネグレクト)した。暗黒と悲惨が日本社会を襲いかかってきた。だからこそ、百年前の魯迅のこの言葉が胸に突き刺さる。
そう思って、魯迅の文を再読してみた。そしたら、魯迅が、なぜ、
いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、
いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、
いかなる罪悪が人道をけがそうとも、
完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない

と考えたのか、その理由が次のように書かれていた。
これらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない力、その力の源泉は生命にある。なぜなら、生命はたえず無限の精神三角形の斜面に沿って登ってゆく。何ものもそれを阻止することはできないから。生命は死を恐れない。死の面前で、笑いながら、踊りながら、滅亡した人間を踏み越えて進んでいくから。

それは、子どもをみれば明らかだ。子どもは生命そのものであり、子どもたちは未来しかない存在なのだから。
放射能という見えない暗黒と悲惨が襲い掛かって、病気と人権侵害のゴミ屋敷と化した311後の日本社会をどのようにして、健康と人権屋敷に再建するのか、そして、暗黒と悲惨の障害物を踏みこえて前進せずにはいない力=生命を、どのようにして見出すのか、5月23日の4人の講演とパネルディスカッションの1人として参加する中で参加する市民の人たちと一緒に考えたいです。                              (文責 柳原敏夫)                 

この点、私(柳原)は魯迅の次の言葉が胸に刺さっている。
希望とは、もともとあるものだとも言えぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。
もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
」〔「故郷」(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集1」)〕

その希望について、私は、311後の翌年、311後から1年間を振り返って書き留めた次の備忘録と1年前、日本社会のこれから百年間の悲劇が311から始まったことを書き留めた次の備忘録が、今の私の希望につながっている。この道が出来るのか、荒地のままにするのか、それを決めるのは私たち市民の手にかかっている。

「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか。疎開裁判から市民立法へ(2012.7.19一部追加)

            目  次

1、はじめに--二度目の3.11(人災)
2、福島原発事故の未来は原発事故の過去にある
3、三大政策1つ「情報を隠すこと」の核心が子どもの被ばく情報だった
4、三大政策1つ「様々な基準値を上げること」の動機が子どもの疎開を阻止するためだった
5、なぜキエフで子どもたちの集団疎開が実現したにもかかわらず、日本では実現しないのか
6、認識をまちがえた善意の献身が最悪の事態をもたらす――事故直後の犠牲者の殆んどが事故の認識をまちがえた善意の献身者たちで、落命は避けられた人災だった
7、「最も悪いのは放射能を怖がる精神的ストレス」論の起源はベトナム・シンドローム
8、原子力ムラの御用学者の起源は「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー
9、原発事故は形を変えた核戦争であり、放射線と戦争の原理原則が貫徹される
10、事故5年後に制定された住民避難基準(チェルノブイリ法)はチェルノブイリの憲法9条である
11、もし住民避難基準(チェルノブイリ法)がもっと早く事故直後に制定されていれば98万人余の犠牲は避けられた
12、もし戦争終結がもっと早ければ、ヒロシマ・ナガサキの悲劇はなかった
13、おわりに--泣くのなら、今思い切り泣く、5年、10年後には泣かない
 

2026年3月6日金曜日

【お知らせ】市民活動情報誌『市民活動のひろば』掲載の「チェルノブイリ法」日本版の会の紹介文(26.2.24)

 



東京・多摩地域で、
2002年から市民活動情報誌『市民活動のひろば』を発行している編集部の方から、市民が育てる「チェルノブイリ法」日本版の会の紹介文の寄稿をリクエストされ、以下、そこに寄稿した文です(>全文PDF)。
ラストの文、
311後に生きる私たちにとって、未来しかない子どもたちにとって、この脱ゴミ屋敷への執念以外に、外に何が残されているだろうか。原発事故の犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、市民の連合の力を実現することへの執念のほか、この世に何があるだろうか。これが市民立法「日本版」の執念です。

これは、
チェルトコフさんの本「チェルノブイリの犯罪((上)21頁)」の中に引用されたカミュの次の言葉
犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、証言することへの執念のほか、この世に何があるだろうか
これに接した時、何という真実だろ、犯罪に対する私たちの態度をこれ以上明確に指し示した言葉はないと気づき、これをそのまま日本版の態度として書いたものです。

【報告続き】7.12対話集会の続き「人権活動家よりも、人権を信じない小出さんと共にいたい」について沢山の人たちと対話したい(26.7.25)

   2018年3月、 チェルノブイリ法日本版の会結成集会 に参加した小出裕章さん 7月12日の対話集会 に参加された人と、その後、お会いしたり、メールで、当日の話題について対話を重ねていて、 以下は、 その方から、小出裕章さんの「人権」についての対話をご存知ですか?と問いかけ...