2021年12月30日木曜日

【お知らせ】「国家の加害責任」に関するQ & Aを追加しました。

Q1: チェルノブイリ法について、事故5年後の1991年に「国家の加害責任」を明記し、生存権を保障した放射能被害に関する、世界で初めての人権法という説明をしています(2021年12月18日の投稿 Q6を参照)。 チェルノブィリ法で、「国家の加害責任」を明記しているというのは本当ですか?

 

民事裁判の大半の事件は損害賠償訴訟と言われるものです。これは加害者の法的責任を2つの面から追求していきます。1つが侵害論。もう1つが損害論。

侵害論とは被害者を侵害した行為に対して、加害者は加害責任を負うか否かを問うものです。

損害論とは、加害者に侵害の責任が認められた場合、次に、その侵害行為によって、被害者がどこまで被害を被ったかを問うものです。一般には、侵害行為と因果関係が認められる被害に対して、加害者は賠償する責任があるとされます。これを賠償責任といいます。

この民事裁判の考え方、つまり侵害論における加害責任に対応した日本版の用語が「加害責任」損害論における賠償責任に対応した日本版の用語が「補償責任」

この両者を合わせて、法的責任と呼びます。つまり、法的責任を問う場合、「加害責任」と「補償責任」はコインの表と裏みたいな表裏一体の関係にあり、一方だけが存在するものではありません。

だから、法的責任が問われる場面で、仮に「加害責任」を認めたら、それは同時に「補償責任」も認めることを意味し、反対に、仮に「補償責任」を認めたら、それは同時に「加害責任」も認めることを意味します。それが法的責任の原則です。もしそれが社会的責任とか道義的責任だったら、その現象の発生に対して、国家が遺憾の意を表明するとか謝罪するとかで一件落着する場合があります。しかし、法的責任の場合、その現象によって引き起こされた人々の被害を救済することまでが当然の前提にされています。以上から、法的責任を問題とする場合に、加害責任の面から取り上げようが、補償責任の面から取り上げようが、その具体的な中身は変わりません。ひとたび加害責任を負うことを認める以上、その事故から引き起こされる被害について救済する法的責任を負うことを意味するからです。

以上のとおりですから、チェルノブイリ法中に(13条)*、被害を補償する責任は「国家」にあると明記されているというのは、国が法的責任を負うということでして、国が法的責任を負うということは同時に、事故を発生させたことに対しても法的責任を負っていることを認めたことを意味します。市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会では、このことを指して「加害責任を負う」と表現しています。

 

チェルノブイリ大惨事の被災者市民の地位および社会的保護に関する法律

 第13条 チェルノブイリ大惨事によって被った市民の損害に対する国家の義務

国家は,市民の被った被害に対する責任を負い,次の場合に市民に対して補償しなければならない〔96.6.6 付法律 N 編集の第13条1項1号〕。 

1) チェルノブイリ大惨事の被災市民およびその子どもの健康被害および労働能力の喪失2) チェルノブイリ大惨事に関連した扶養者の死亡3) 市民およびその家族が,本法律およびその他のウクライナの法的アクトに定めるチェルノブイリ大惨事に関連して被った物的損害 

国家は,チェルノブイリ原発事故のリクビダートルおよびチェルノブイリ大惨事の被災者に対して,現代的な(最新の)医療検査,治療および被曝線量の測定(判定)を行う義務を負う。〔96.6.6 付法律 N 編集の第13条2項〕


Q2: 将来できる予定の市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」には,チェルノブィリ法にならって国家の加害責任を書くべきだと考えていますか?

 はい。【チェルノブイリ法日本版】伊勢市条例(柳原案バージョン2)の前文で、「国家の加害責任」について、明記しています。

 

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【お知らせ】5月25日にブックレットの出版

先月27日の総会でも報告しましたとおり(> 総会報告 )、 市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会のメンバー2人が編集したブックレット「わたしたちは見ているーー 原発事故の落とし前のつけ方を ーー」(以下が表紙)が今月5月25日に新曜社(> HP )から発売されます。 今年...