参加人数は20名前後?とい事前の予測に反して、73名(内スタッフ9名)+子ども6名 計79名の参加となり、学習会後の、育てる会の賛助会員の申込も17名となりました。
静岡の水面下で、何か地殻変動が起きているのではないかと予感し、その意義を考えさせられた1日でした。
以下、当日の動画とプレゼン資料&配布資料です。
◆動画
柳原敏夫の話(その1)(約32分)
柳原敏夫の話(その2)(約32分)
柳原敏夫の話(その3)(約33分)
柳原敏夫と参加者の質疑応答
育てる会のメンバー(岡田俊子、松本徳子)のスピーチ。
主催者代表馬場利子さんより閉会のあいさつ
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
◆ 配布資料(PDFは->こちら)
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方 2019年6月8日 柳原敏夫 1、雑念を払う。その時、真理が稲妻のように人々の心に届く
雑念を払ってみた時、311以後の日本政府の正体は民主主義国家とは「あべこべ」の独裁国家ではないのか。天安門事件の中国政府の正体と同じように、犯罪者ではないのか。
雑念を払ってみた時、311以後の市民運動の姿は、かつての水爆禁止運動、公害運動、情報公開法の市民立法運動等にくらべ、未曾有の巨大過酷事故の現実に追いつかず、劣化が著しいのではないか。
2、「人間離れ」した世界を体感する試み。その時、未曾有の巨大過酷事故の現実に少しでも追いつく
なぜ原発事故から目をそむけてしまうのか。単に怖いからではなく、放射能それ自体が「人間離れ」していて、非日常的世界の現象であるから。原発事故の現実と向かい合うための第一歩は、人間が体感(経験)できる対象として放射能を再発見する必要がある。その時、原発事故の途方もない現実に近づける。
3、願いを持つ。それも未曾有の巨大過酷事故に匹敵する願いを持つ。その時アクションに踏み出せる
けれど、原発事故の途方もない現実は私たちが人類史の最終章の絶壁に立っているかのような気にさせる。その絶望の気持ちから、もう充分生きた自分だけだったらもういいと思っただろう。しかし、未来しかない幼い人たちは「それは身勝手だ。そして不条理だ」と思うだろう。その時、311以後露呈した不条理な「あべこべ」をただすためのありったっけの願いを総結集して、未曾有の巨大過酷事故に負けないだけの巨大な願いで取り組むしかない。それが絶望と巨大な願いを背負ったチェルノブイリ法日本版。
4、「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、それがチェルノブイリ法日本版
福島原発事故で私達は途方に暮れた。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だから。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想(災害救助法等)で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られた。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法。
5「子どもたちを被ばくのロシアンルーレットにさらさない」、それがチェルノブイリ法日本版
福島原発事故で私達は途方に暮れた。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。危険というイエローカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という発想で対応し(3日の福島県の甲状腺検査評価部会)、その結果、人々の命、健康は脅かされた。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場。人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。なぜならロシアンルーレットが当たったら、損傷した命、健康を元に戻すことは不可能だから。それが予防原則、これを明文化したのがチェルノブイリ法。
6「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、それがチェルノブイリ法日本版
福島原発事故で私達は途方に暮れた。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられたが、それが無意味な試みと分かると口を閉ざしたから。避難できず、苦悩が人々の避難場所となった(2011.7「この哀しみ、この怒り、このいらだちをいつ、どこで、誰にどうぶっつけていいものやら」)。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法。
7、「一人一人の市民の力で作る」、それが市民立法チェルノブイリ法日本版
原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史の教えるところは、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。国難において現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達には公式の日本史には載らない。以下の栄光の市民運動の歴史がある。
1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
→政府を震撼させ、1967年、世界初の総合的な公害対策基本法を制定させた。
1969年、翌年、歴史的な公害国会(公害対策基本法の「調和条項」を削除)を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、1982年山形県金山町で条例制定の第1号、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていること。
以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動
8、さいごに (斉藤隆介作・滝平二郎絵)「八郎」より
むかし、秋田に、
八郎という名の山男が住んでいた。八郎は、かしの木ほどもある大男。なのに、彼の口癖は、
あーあー、おら、もっと おっきくなりてえなあー、おっきくなりてえなあー
でも、なぜ自分が 大きくなりたいと思うのか わからなかった。
しかし、とうとうその時が訪れた。
或る時、小さな子どもと出会い、子どもとの経験を通じ、自分の心の秘密を知り、こう叫んだ。
わかったあ !
おらが、 なしていままで、
おっきくおっきく なりたかったか !
・・・私たちも、八郎のように、確信を抱いて叫び続けたい。
あーあー、おら、もっと おっきくなりてえなあー、おっきくなりてえなあー (2019.6.7)
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