以下の写真2枚はNPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」代表神田香織さんFacebook提供。
以下、当日の動画とプレゼン資料&配布資料です。
◆動画
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
◆ 配布資料(PDFは->こちら)
新しい酒を新しい皮袋に盛る市民立法「チェルノブイリ法日本版」
2019年5月19日 育てる会共同代表 柳原敏夫
福島原発事故で私達は途方に暮れました。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だからです。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られました。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場です。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法です。 福島原発事故で私達は途方に暮れました。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。つまり危険というカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という従来の発想で対応し、その結果、人々の命、健康は脅かされました。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場です。つまり人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。それが予防原則で、これを明文化したのがチェルノブイリ法です。 福島原発事故で私達は途方に暮れました。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられました。しかしそれが無意味な試みと分かると口を閉ざしたからです。避難できず、苦悩が人々の避難場所となりました。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場です。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法です。 原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史が教えるところは、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。 他方、公式の日本史に載らない民衆史が教えるところは、現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達には以下のような、栄光の市民運動の歴史があります。 1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
1969年、歴史的な公害国会を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていることです。以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動です。
◆参加者の感想
主催団体NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の代表神田香織さん(Facebookより)
「19日、NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の総会と学習会を本郷文化フォーラムにて開催しました。学習会は一年前に発足した「チェルノブイリ法日本版」について柳原敏夫さんが講演。まず最初に柳原さんの「戦争と平和」と題したメッセージ、インパクトありました。
「私たちは放射能を忘れたがっている。その弱みにつけこみ、日本政府は『原発事故は終わった。あとは経済復興、オリンピック』と煽り立てる。
私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない、原発事故を簡単に終わりにはさせてくれない。非日常の非人間的現象にボーっとしないで3.11ショックから立ち直り、正気に帰る必要がある。」
スライドはどれも示唆に富んでいて次々とパチリ。「司法権の独立を獲得した江藤新平」、美濃部都政時の「東京都公害防止条例」今後のヒントとして「希望の扉」の実例、「もう一つのあべこべ」など、闘いの歴史もふまえ、物静かな語り口ながら怒りと情熱が伝わってきました。
エドワード・サイードの引用からは柳原さんの反骨精神 が垣間見えました。「現代の知識人は専門家ではなく、アマチュアたるべきである。そして機知とユーモアでずけずけ物をいい、絶えず移動する遊牧民である」
そう、もう、いわゆる知識人や政治家におんぶできる時代ではないですね〜。下手すると政治家の手によって戦争が起こりかねないのだから。機知とユーモアでずけずけ言いたいが自信がないという方、よろしければ私の講談教室にどうぞ。機知とユーモアはともかく、大きな声はお任せください(笑)
写真は講演の間はほとんど下を向いていた柳原さん、実はこんなに目がぱっちり。打ち上げ会場の前で。紹介したスライドの数々、講談教室のご案内です。」
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