秋山豊寛さんが亡くなったという知らせを2日前、ネットで知りました。急なことで、なぜ、まだ若い彼が亡くなったの?と驚きと戸惑いに襲われました。
宇宙飛行士だった秋山豊寛さんは311当時、福島県田村市で農業を営んでいて、311後に国内避難民(彼自身の言葉では原発難民)になりました。福島から避難し京都を経て三重県の山の中(大台町)で農業をしていました。
彼と日本版の会との出会いは、4年前、伊勢市で、急遽、チェルノブイリ法日本版のミニ学習会を開いたとき、山の中からわざわざ出かけてこられたときが最初で、それが最後だった。
そのとき、講師の柳原のレクに対して殆どずうっと最後まで質問をしていたのが秋山さんだった。私(柳原)は、今まで、チェルノブイリ法日本版の学習会で、こんなに熱心に話し込んで来る人に会ったことがなく、ビックリした。他方、彼は普段、パソコンもネットも携帯もやらず、山の中で仙人みたいな生活をしていると聞いて、彼は、チェルノブイリ法日本版に最も熱心な、日本版の会の隠れキリシタン会員だと思った。
ただ、当時、私(柳原)は、パソコンもネットも携帯もやらない元松本市長の菅谷昭さんに日本版の会の会員に「参加」してもらおうという情熱を持ち合わせていなかった。そのため、秋山さんに日本版の会への「参加」を呼びかけられなかった。その結果、自然、足が遠のいてしまった。
しかし、その後、彼の「原発難民日記」(岩波ブックレット)を手に取り、311まで彼がどんな夢と希望を抱いて福島で農業に従事し、その夢と希望が311で打ち砕かれ、深い失望の中で原発難民を余儀なくされたかを知った。その苦悩は曲がりなりにも「半農半○」の真似事で農業に「人類の最後のフロンティア」を見出していた私(柳原)の心にも届いた。それから、改めて、4年前の伊勢市で、秋山さんがチェルノブイリ法日本版の可能性について執拗に問い続けていた姿が思い出され、彼こそ、誰よりもチェルノブイリ法日本版を望んでいた原発難民だったことを合点した。
そこで、4年前、非公開扱いにしていた日本版の学習会(>その報告)の動画を関係者の許諾を得て公開させていただきます。
そこで語られた秋山さんのメッセージは、黒人女性として初めてノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンの「白人支配の下で『見えない存在』として生きたアメリカの黒人の姿を四世紀の歴史の中から掘り起こし、この人々の内なる世界に声と言葉を与えた」という偉業と同様、 暴走する先端科学技術の脳化社会の支配の下で、『見えない存在』として生きた原発事故の国内避難民(原発難民)の姿を歴史と彼自身の体験の中から掘り起こし、この国内避難民(原発難民)の内なる世界に声と言葉を与えようとした彼の執念です。
だから、これは、秋山さんから日本と世界の全市民に捧げられた、日本版の会にとって永久保存版となるメッセージです。
2022年8月三重県伊勢市でのチェルノブイリ法日本版の学習会(その1)
同学習会(その2)

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