2020年1月27日月曜日

【報告】もう1つのAct locallyに挑戦した、東京都清瀬市、1月25日(土)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会

2020年1月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 1月25日(土)、「清瀬・くらしと平和の会」主催で、東京都清瀬市の「男女共同参画センター(アイレック)」でやりました。


2回前の学習会から「新しい段階に入った」学習会と紹介しました。 一言でそれは
Think globally, Act locally.
つまりThink globally(全体を大きくとらえる)ばかりではなく、同時にAct locally(目の前のことをを具体的に取り組む)ことでした。
ただ、2回の学習会は、それを以下のように政策の面から検討しました。

しかし、初めての試みでしたが、今回はそれを人間の面から紹介しました。
それが、2日前の23日、福島地裁の法廷で、311後の自身と家族の苦難の日々を証言した原告の長谷川克己さんに登場してもらう、というやり方でした。

                                                    (長谷川克己さん)

映画「シンドラーのリスト」の最後の場面で、ドイツ降伏の後、犯罪者として収容所から立ち去るシンドラーは、彼が助けたユダヤ人たちから指輪を送られ、こう告げられます。
ひとりの命を救う者が世界を救う
この言葉に震撼させられたシンドラーは、自分が果して、ひとりのユダヤ人を救おうとしてきたのかと自問自答し、最善を尽くしてこなかったのではないかと自分を責め、泣き崩れます。‥‥

私にとって、311直後の長谷川さんはこのシンドラーの生き様と重なる部分がありました。
311まで放射能の知識について皆無同然だった長谷川さんは原発事故で、自分の中で動物的勘として「予防原則」の指令が緊急発進し、唯一これに導かれて、周囲との軋轢、冷笑、中傷に耐えながらそれらを跳ね除けて、妻子と共に福島から静岡に避難しました。
ただし、それは決して一直線の道だったわけではなく、一度は県外に避難させた妻子を再び連れ戻し、山下俊一アドバイザーの「心配ない」という甘言にコロッと騙されて、「ここにいても大丈夫なんだ」と窓を開け放ち、地元産の野菜を食べ、しかしその後そのおかしさに気がつくというあんばいに、右往左往するジグザグの道のりでした。
しかし、長谷川さんは、必死に最善の道を探し続ける暗中模索の中で、ついに、自分の考えとジャストミートする一群の市民たちに出会います。それが5月23日に福島県から文科省に抗議行動に出た市民団体「子ども福島」でした(→その動画)。
彼らの行動に万感の共感を覚えた長谷川さんは、1週間後、「子ども福島」と福島県の交渉(→その写真)を奥さんと傍聴、そこで「子どもを放射能から守って欲しい」と切々と訴える「子ども福島」の要望に対し、「子どもを守る」気のない福島県の正体を目の当たりにして、「もう行政に頼ってもダメ」だと観念し、自ら避難することを夫婦で決意しました。
そこからは、ユダヤ人の救済を決意し、「シンドラーのリスト」を作成したシンドラーと同様、長谷川さんは目標に向かって一直線に突っ走ります。

長谷川さんの行動は、たとえ放射能について全く無知な人であっても、ひとたび未曾有の原発事故が発生した時、普段から私たちの胸の中にある
「とにかく危険には近寄らない」
「危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。」
という動物的勘が働いて、それに導かれて、放射能の危険から脱出することが可能であることを示す生きた例でした。

ただし、動物的勘と言っても、もう1つの作用の仕方があって、それが、
未曾有の原発事故に直面した時、恐怖の余り気が動転し、そこで、「危険はないんだ」と自ら言い聞かせ、平常心を取り戻そうとする「動物的勘」。
「動物的勘」でも、これは行動が長谷川さんと正反対の方向に向かいます。
この差はどこから来るのか?
これに対する長谷川さんの答えは--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
長谷川さんは、のちに、この動物的勘は「予防原則」のことだと知り、自分は311直後に、知らずして、自分の中で予防原則が作用していたんだと気づく。
つまり、
長谷川さんにとって、予防原則とは
とにかく危険には近寄らない
危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。」
というだけのこと、それは知識だとか何とかではなくて、実生活の中で身につけている動物的勘だ、と。

以上から、長谷川さんが身をもって示したことは、
原発事故のような未曾有の事態に直面した時でも予防原則を貫けるかどうかは動物的勘が働くかどうかによる、しかも、それがまちがった勘ではなく、「正しい」動物的勘が働くかどうかは、未来しかない「子どもに対する愛」があるかどうかによる。

裁判前に、これを書いていて、
チェルノブイリ法日本版のエッセンスは予防原則です。
だとしたら、長谷川さんの生きた経験以上に、チェルノブイリ法日本版のエッセンスを雄弁に語るものはないのではないか、と気がつきました。

そこで、当日の学習会のレジメの題名をこう決めました。
私たちが「チェルノブイリ法日本版」に至る道
――それは知識ではなく、動物的勘そして愛――

言い換えれば、動物的勘と愛がない限り、人はいくら勉強しても、いくら放射能の知識は増えても決してチェルノブイリ法には辿り着かない。知識は足りてる、足りないのは動物的勘と愛。

私は、この数週間、長谷川さんの生きた経験に接し、「チェルノブイリ法日本版」に至る道はものすごく単純、シンプルなものであることがハッキリしました。
もっとも、これは「チェルノブイリ法日本版」と出会うまでの道。そのあとのロードマップ、市民立法により「チェルノブイリ法日本版」を実現というゴールに辿り着くためには、今度は動物的勘だけでは足りません。そこで初めて、過去の日本と世界から、市民立法の歴史と教訓を学ぶ必要があります。しかし、それはあくまでも「チェルノブイリ法日本版」の必要性に出会った人たちが次に直面する課題です。
なおかつ、その学びも、出発点となる愛と動物的勘がぐらつくと、その学びもまたぐらつき、ぶれてしまいます。ただの物知りに堕してしまう恐れがあります。この意味で、長谷川さんの教えは私たちに次のことも示しているように思います。
知識の虫としてチェルノブイリ法日本版に近づくのではなく、捨てておけない、苦悩に満ちた問題に対する答えを求める一人の人間として、チェルノブイリ法日本版のもとに行くこと。それが私たちにチェルノブイリ法日本版の正しい答えを引き出す原動力、源泉となる。

以下は、「チェルノブイリ法日本版」の入り口に至る道は放射能の知識などに関係なく、誰にも開かれた、ものすごく単純なもの=「動物的勘」について、長谷川さんの経験に即して紹介した学習会の動画・プレゼン資料・レジメです。

動画
主催者等の挨拶(8分) 


柳原の話(1)(36分)


柳原の話(2)(23分)

柳原の話(3)(28分)


参加者との質疑応答(33分)

プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 



レジメ(PDFは->こちら

                 **************
私たちが「チェルノブイリ法日本版」に至る道

――それは知識ではなく、動物的勘そして愛――

2020年1月27日

1、311まで放射能に無知だった或る避難者の証言(その1)
311当時、郡山の介護施設の現場責任者だった長谷川克己さんの証言(一昨日の福島地裁の原告本人尋問より)。
――3月12日の原発1号機の爆発。爆発映像を流すTVに、介護施設で勤務中に長谷川さんが周りの職員に「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手はこう反応。
今それどころじゃないですよ。大変なんですから」
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」

長谷川さんはこの言葉を聞き、ハッと思った--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
 

9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて、動物的勘の問題だ、と。
あとから知った言葉で予防原則、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
ただし、それは別に特別なことでなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうしている、予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするのか!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。―――
       ↑
長谷川さんのこの証言に対し、私から彼に投げた質問、
原発事故のような未曾有の事態に直面した時、恐怖の余り気が動転し、危険はないんだと自ら言い聞かせ、平常心を取り戻そうとした人もいるんじゃないか、それもまた「動物的勘」の1つではないでしょうか。
だとしたら、同じ「動物的勘」でも行動がそこから正反対の方向に分かれてしまう、この差はどこから来ると思います?


これに対する
長谷川さんの答え--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
 
2、或る避難者の証言(その2)
同じく長谷川さんの意見陳述(5年前の子ども脱被ばく裁判の第1回裁判)。

――私たち親子が、この裁判の原告になった理由は、一言で申せば、「このまま、この理不尽に屈するわけにはいかない」という思いからです。

原発事故から4年余りの間、日本政府、福島県行政が行ってきた対応の数々は、私にとっては理不尽の連続でありました。
「原発事故直後、多くの諸外国が、原発から80キロ圏内の住民に避難指示を出したのに、なぜ日本政府は20キロ圏内に留めたのか?」
「なぜ、日本政府は、原発事故から間もなくして、法律に定めていた国民の追加被ばく線量・年間1ミリシーベルトの値を20倍に引き上げたのか?」
「なぜ、日本政府は、予防原則に基づき、子どもや妊婦は、放射線量の低い地域へ避難させるとの処置をとってくれなかったのか?」
「なぜ、日本政府は、今も事故前よりも明らかに高い放射線量の地域に帰還を促すのか?」
その他にも、数々の「なぜ」が私の頭の中を巡ります。‥‥しかしながら、日本政府が、福島県行政が、この4年間をかけて行ってきたことは、私たちに対して、まるで「被ばくなど無かった」「原発事故はコントロールされている」かと錯覚させるような所業であります。

このことに対して改めて、ここで強く申し上げたいことがあります。

それは、「この被ばくを」、「この原発事故を」、無かったことにしたいのは、本当は私達のほうだということです。
「4年前の3月12日以降、子ども達の頭上に、大量の放射能が降り注いだことを、無かったことにしたい・・・。」
「自分の判断が悪かったことで、わが子に大量の被ばくをさせてしまったことを、無かったことにしたい・・・。」
「住み慣れた、愛すべきふるさとが、放射性物質で汚されたことを、無かったことにしたい・・・。」
「この先、子ども達に健康被害が発生するかもしれないなどという未来など、訪れるはずもない・・・。」
そう、この原発事故を無かったことにしたいのは、私たち市民であり、母親であり、父親であります。
     ↑
この証言に対し、私から長谷川さんに投げた質問、
原発事故を無かったことにしたいのは、私たち市民だ」この願いは本当にその通りで、日本政府もそれを重々承知の上で、私たち市民のこの弱みに付け込んで、「もうそろそろ終りにしようぜ」「オリンピックで気持ち切り替えようぜ」と経済復興に狂騒、狂走し、私たちを巻き込もうとしている。
この時、政府のこの残忍酷薄な政策に対し、私たち市民の側は2つに別れるのではないか。
ひとつは、いつまでも、放射能の恐怖に怯え、ビクビクする生活を続けるくらいなら、いっそのことを気持ちを切り替えて「もう終わった、もう別にたいしたことではないんだ」と意識的に「思考停止」に陥り、復興に向かって元気になろうと気持ちを切り替える人たち。
私から見ると、これもまた動物的勘の1つで、一方で避難する経済的余裕はない、他方で戻った場所は汚染まみれというジレンマの状況の中で、人々は身を守るための防衛本能が働いて、動物的勘から、こうした行動に向かっている。
しかし、長谷川さんは同じ「この原発事故を、この被爆を無かったことにしたいのは本当は私達のほうだ」という願いから出発しながら、「危険には近づかない」という予防原則を動物的勘から働かせ、その結果、復興に向かって元気になろうと気持ちを切り替えた人たちと正反対の道、避難の継続の必要性に向かった。その差はどこから来たのか。なぜそれが可能だったのか。


これに対する長谷川さんの答え--もし避難と違う選択肢を選んでいたら、自分は守れても、子どもの未来を守るという、避難をしたそもそもの目的が果たせなくなるからです。どのような状況でも、「こどもたちを守る」という最大の目的を見失わないように心がけたことです。

3、長谷川さんの証言とチェルノブイリ法日本版
チェルノブイリ法日本版のエッセンス――予防原則。
311の危機における長谷川さんの行動原理は予防原則。
だから、長谷川さんの教えは、
市民がチェルノブイリ法に至る道――そこで必要なのは知識ではなく、動物的勘、そして愛。

その反面、愛と動物的勘がない人は、いくら知識は増えても決してチェルノブイリ法には辿り着かない。

また、日本政府もずっと予防原則を使ってきた。「備えあれば憂いなし」、と。国を守るためには思い切り予防原則を口実にしてきた。しかし、国民を守るためには沈黙し続ける。それは日本政府に国民に対する愛がないからだ。

2年前の結成集会の長谷川さんの言葉――「自分の手が届かない時間に対しての責任というものを、私自身が放棄することは絶対にできない」「やはり、『この理不尽の中で屈して、お父さんは引き下がってしまった』ということを子どもたちに見せるわけにはいかないという思いで、今後も頑張ってきたい」

この壊れた日本政府の理不尽に屈せず、あらがうこと、それが「市民立法」チェルノブイリ法日本版。今を生きるとは、生涯忘れ得ぬ体験を反復すること、それが「市民立法」チェルノブイリ法日本版。 

2019年12月23日月曜日

【報告】小出裕章さんも参加、東京都港区、12月22日(日)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会

新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)の報告。

 2019年12月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 12月22日(日)、「脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会) 」主催で、東京都港区の区立男女平等参画センター「リーブラでやりました。
当日は、長野県松本市より小出裕章さんも参加、熱心に話を聞かれ、市民立法(全国各地の市民の手で条例を制定する)によるチェルノブイリ法日本版の実現に共感の意見を述べられました(詳細は、以下の動画〔質疑応答〕を参照)。
                       
                      参加された小出裕章さん

以下は、当日の学習会の動画・プレゼン資料・レジメです。
動画
講師の柳原敏夫の話1


講師の柳原敏夫の話2
 

講師の柳原敏夫の話3
 

質疑応答1
!

質疑応答2
 

プレゼン資料(全文のPDFは->こちら

http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/191222MinatokuPresen.pdf

レジメ(PDFは->こちら

                 **************
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
                                              2019年12月22日

1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実()を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。

()例えば
時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。

 私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
 では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。

2、チェルノブイリ法とは一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。

3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。

(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかりが必要となる。(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。

(3)、真実の光を放つメガネ
 ここでいう「真実」とはカントの「視差」()を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。

(※)
さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。
」(カント「視霊者の夢」)                                       

(4)、理念の光を放つメガネ
 子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。  cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
          ↓
 この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
 それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。

(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1) (※2)。

(※1) 憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。

(※2) 世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法  → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法      → 2007年ICRP勧告 →  ?年チェルノブイリ法日本版

4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難・移住の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
                                                  (2019.12.22)


2019年12月3日火曜日

【続報】東京都清瀬市、1月25日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会のチラシ作成(2019.12.3)

東京都清瀬市の市民有志が、来年1月にチェルノブイリ法日本版について学びたいと、学習会の企画を立て、そのチラシが出来ました。

会場:清瀬市男女共同参画センター(アイレック)会議室
      地図->こちら
お問合せ 042-493-2982 fuseyume(at) krc.biglobe.ne.jp

2019年11月20日水曜日

【速報】東京都清瀬市、1月25日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会(2019.11.20)

東京都清瀬市の市民有志が、来年1月にチェルノブイリ法日本版について学びたいと、学習会の企画を立てました。
以下が、現時点で決まった内容です。
詳細が決まり次第、追加します。
よろしくどうぞ。

日時:2020年1月25日(土)
    14:00~16:00(開場 13:30)
会場:清瀬市男女共同参画センター(アイレック)会議室
    〒204-0021 東京都清瀬市元町1丁目2−11
    西武池袋線「清瀬駅」北口右側(徒歩1分)「アミュービル」4階
    地図->こちら
講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)

参考2件
1、「あ-あ-、おら、もっと おっきくなりてえなあ」(市民立法「チェルノブイリ法日本版」条例への挑戦)
 今年2月、キリスト教関係の雑誌「ピスカートル」に投稿したチェルノブイリ法日本版の記事です。
 (全文のPDF->こちら

2、今年5月、文京区でやったチェルノブイリ法日本版の学習会(報告は->こちら) の参加者の感想文 (全文のPDF->こちら



2019年11月18日月曜日

【速報:再挑戦】2020年3月、三重県伊勢市で、「チェルノブイリ法日本版」条例の制定をめざす直接請求に2度目のチャレンジ(2019.11.17)

  子らを思へる歌  
瓜食めば子ども思ほゆ
栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそ
目交に もとな懸りて
安眠し寝さぬ
【反歌】     
銀も金も玉も 何せむに
優れる宝 子に及かめやも
  山上憶良「万葉集」巻5
                 ****************

今年7月31日から、三重県伊勢市で、保養団体「ふくしまいせしまの会」の代表上野正美さんたちが、「チェルノブイリ法日本版」条例(正式名称「原発事故を伴う放射能災害から伊勢市民を守るための条例」)の制定をめざす直接請求の署名活動をスタートしました。
 連日16~17時に伊勢市駅前の一般向けの署名集めを報道する記事(中日新聞8月1日)

結果的には、署名は直接請求に必要な数に達しませんでした(このときの詳細は->こちら)。

そこで、潔く諦めるのではなく、捲土重来を期して、来年3月2日から、再び、この条例の制定をめざす直接請求の署名活動を行なおうと、 7月の直接請求の市民グループの報告会&反省会で話合った結果、決定しました。
再挑戦する直接請求の 請求代表者は、7月と同じく、以下の3名の市民です。
 荒川圭子さん 郡山市からの自主避難者
 濱口 弘さん はまぐちギフト 
 上野正美さん 「ふくしまいせしまの会」代表 

今後百年生き永らえたとしても決して体験できないような311原発事故の体験に立ち返り、そこから再び決意を新たにし、日々、知恵と創意と工夫をこらして、今度こそ必ず、目標の署名を集め、山上憶良に負けないくらい、子どもらを思う伊勢市民の、チェルノブイリ法日本版条例に寄せる願いと民意を市議会に届ける決意です。

まずは、決起集会を以下の日程・場所で開くことを決めました(詳細は追って)。
子どもらを思う皆さん、一緒に力を合わせて子どもらを守りましょう。
日時: 2020年2月15日(土)
場所: いせシティープラザ 1階ホール()
   〒516-0037 三重県伊勢市岩渕1丁目2−29
    電話番号  0596-24-2751
参加者: 柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
       ほか

 () いせシティプラザは、いせ市民活動センターの中にあります。

取り急ぎ、速報でした。

2019年11月17日日曜日

【お知らせ】12月22日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「なかったことにはさせない!--福島原発事故の人権侵害」(港区リーブラ)

 新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)のお知らせ。

2019年10月11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、東京都調布市と福島県郡山市でやりました。
     調布市(10月26日。詳細->こちら)            郡山市(11月2日。詳細->こちら

 この2つの学習会は、それまでの学習会のメインテーマ、
--なぜ今、チェルノブイリ法日本版なの?
--どうやって、チェルノブイリ法日本版を実現するの?
という入り口の総論の話から、次の段階に進み、
チェルノブイリ法日本版条例の中身について、
--その条例は誰が、何のために、誰のために作るの?  
--どんな内容なの?キーワードと言われる予防原則とどんな関係があるの?  
という各論のテーマについての話を試みたものでした。

まだ暗中模索の域を出ない試みとしか言えないものですが、参加した皆さんのリアクションから、この試みがとても大切なもの、必要なものだと確信しました。

そこで、その続きを、来月12月22日(日)13時半から、東京港区の「リーブラ」1階和室広間(以下の地図等を参照)で行ないます。
10月、11月の学習会のプレゼン資料とレジメを、末尾に転載しました。
皆さんのご参加をお待ちしています。
 日時:2019年12月22日(日) 1330~ (開場13:00) 
 会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」公式サイト)  1階 和室大広間(以下の赤丸の部屋)

 
  〒105-0023
  東京都港区芝浦1-16-1 みなとパーク芝浦
  TEL:03-3456-4149 ->地図) 

  アクセス JR田町駅東口 徒歩5分
        都営地下鉄三田駅 A6出口 徒歩6分
 演題: 市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
       チェルノブイリ法日本版条例案の中身について
      ――願い・夢をカタチにするまでのプロセス――
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
◆ スケジュール
   柳原の話    13 ~15時

      質問タイム   15時~15時半

      交流会      1545分~16時半

 参加費 無料
   ただし、会場準備の都合上、参加希望の方は
090-8494-3856(岡田)までご一報くようお願いします
 主催:脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)
   問い合わせ先 090-8494-3856(岡田)


◆◆ 10月・11月の学習会の資料
10月のプレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 

http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/191026presenTyofu.pdf
10月のレジメ(PDFは->こちら
                **************
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
                                                                        2019年10月26日
1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実()を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。


)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。

私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。

2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。

3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。

(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。

(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる()。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。

()その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。

(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」()を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。

)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。
」(カント「視霊者の夢」)                                       

(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。  
   cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
          ↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。

(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(1)(2)。

1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。

2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。

18世紀2つの市民革命中の近代憲法  19世紀近代憲法   20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法

1991年チェルノブイリ法          2007年ICRP勧告          ?年チェルノブイリ法日本版

4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
 11月のプレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/191102presenKoriyama.pdf
11月のレジメ(10月26日の調布市の学習会と同じ内容)(PDFは->こちら
  

2019年11月3日日曜日

【報告】福島県郡山市、11月2日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」ミニ学習会

動画(参加者全員の自己紹介と質疑応答・意見交換)を追加アップしました(2019.11.10)
2018年12月1日、郡山での第1回学習会の報告は->こちら

新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)の記録。

2019年11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 11月2日(土)、「チェルノブイリ法日本版(被災者を守る条例をつくる)郡山の会」主催で、福島県郡山市の「ミューカルがくと館」でやりました。
今回は内輪のミニ学習会・交流会というものでしたが、内容的には、先週、東京都調布市でやった学習会「なかったことにはさせない!第2弾--誰がためにチェルノブイリ法日本版条例は鳴る」の続きで、文字通り、各論の話=チェルノブイリ法日本版の具体的な内容を話すという、今までやったことのない取組みでした。
この日、地元郡山からKOCOラジの鈴木則雄さん、「雪を耕す―フクシマを生きる」の著者で、喜多方から元高校教師の五十嵐進さん、白河から元新聞記者の方‥‥オーストラリアのメルボルン大学教員の小川晃弘さんも参加。ご自身のチェルノブイリ法日本版への関心、関わりについて自己紹介していただきました。
  
 小川晃弘さん


以下、当日の動画とプレゼン資料&レジメ&配布資料です。

動画
柳原敏夫の話(1時間20分)。


自己紹介1(小川晃弘さん〔オーストラリア・メルボルン大学教員〕)(12分)


自己紹介2(参加者全員)(10分)


参加者との質疑応答・意見交換(1時間28分)



プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/191102presenKoriyama.pdf
レジメ(10月26日の調布市の学習会と同じ内容)(PDFは->こちら

                **************

市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
                                                                        2019年10月26日
1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実
を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。

)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。

私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。

2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。

3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。

(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。

(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(
)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。

()その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。

(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(
)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。

)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。
」(カント「視霊者の夢」)                                       

(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。  

   cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
          ↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。

(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(
1)(2)。

1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。

2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。

18世紀2つの市民革命中の近代憲法  19世紀近代憲法   20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法

1991年チェルノブイリ法         
 2007年ICRP勧告          ?年チェルノブイリ法日本版

4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
2019.10.26)



 [TY1]それが上記のメガネ。



【報告】もう1つのAct locallyに挑戦した、東京都清瀬市、1月25日(土)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会

2020年1月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 1月25日(土)、「 清瀬・くらしと平和の会 」主催で、東京都清瀬市の「男女共同参画センター(アイレック)」でやりました。 2回前の学習会から「新しい段階に入った」学習会と紹介しました。 一言でそ...