◎2018年12月1日、郡山での第1回学習会の報告は->こちら
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)の記録。
2019年11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 11月2日(土)、「チェルノブイリ法日本版(被災者を守る条例をつくる)郡山の会」主催で、福島県郡山市の「ミューカルがくと館」でやりました。
今回は内輪のミニ学習会・交流会というものでしたが、内容的には、先週、東京都調布市でやった学習会「なかったことにはさせない!第2弾--誰がためにチェルノブイリ法日本版条例は鳴る」の続きで、文字通り、各論の話=チェルノブイリ法日本版の具体的な内容を話すという、今までやったことのない取組みでした。
この日、地元郡山からKOCOラジの鈴木則雄さん、「雪を耕す―フクシマを生きる」の著者で、喜多方から元高校教師の五十嵐進さん、白河から元新聞記者の方‥‥オーストラリアのメルボルン大学教員の小川晃弘さんも参加。ご自身のチェルノブイリ法日本版への関心、関わりについて自己紹介していただきました。
小川晃弘さん
以下、当日の動画とプレゼン資料&レジメ&配布資料です。
◆動画
柳原敏夫の話(1時間20分)。
自己紹介1(小川晃弘さん〔オーストラリア・メルボルン大学教員〕)(12分)
自己紹介2(参加者全員)(10分)
参加者との質疑応答・意見交換(1時間28分)
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
◆ レジメ(10月26日の調布市の学習会と同じ内容)(PDFは->こちら)
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市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
2019年10月26日1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
(2019.10.26)
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