東京都清瀬市の市民有志が、来年1月にチェルノブイリ法日本版について学びたいと、学習会の企画を立てました。
以下が、現時点で決まった内容です。
詳細が決まり次第、追加します。
よろしくどうぞ。
◆日時:2020年1月25日(土)
14:00~16:00(開場 13:30)
◆会場:清瀬市男女共同参画センター(アイレック)会議室
〒204-0021 東京都清瀬市元町1丁目2−11
西武池袋線「清瀬駅」北口右側(徒歩1分)「アミュービル」4階
地図->こちら
◆講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
◆◆参考2件◆◆
1、「あ-あ-、おら、もっと おっきくなりてえなあ」(市民立法「チェルノブイリ法日本版」条例への挑戦)
今年2月、キリスト教関係の雑誌「ピスカートル」に投稿したチェルノブイリ法日本版の記事です。
(全文のPDF->こちら)
2、今年5月、文京区でやったチェルノブイリ法日本版の学習会(報告は->こちら) の参加者の感想文 (全文のPDF->こちら)
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2019年11月20日水曜日
2019年11月18日月曜日
【速報:再挑戦】2020年3月、三重県伊勢市で、「チェルノブイリ法日本版」条例の制定をめざす直接請求に2度目のチャレンジ(2019.11.17)
子らを思へる歌
瓜食めば子ども思ほゆ
栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそ
目交に もとな懸りて
安眠し寝さぬ
【反歌】
銀も金も玉も 何せむに
優れる宝 子に及かめやも
山上憶良「万葉集」巻5
****************今年7月31日から、三重県伊勢市で、保養団体「ふくしまいせしまの会」の代表上野正美さんたちが、「チェルノブイリ法日本版」条例(正式名称「原発事故を伴う放射能災害から伊勢市民を守るための条例」)の制定をめざす直接請求の署名活動をスタートしました。
連日16~17時に伊勢市駅前の一般向けの署名集めを報道する記事(中日新聞8月1日)
結果的には、署名は直接請求に必要な数に達しませんでした(このときの詳細は->こちら)。
そこで、潔く諦めるのではなく、捲土重来を期して、来年3月2日から、再び、この条例の制定をめざす直接請求の署名活動を行なおうと、 7月の直接請求の市民グループの報告会&反省会で話合った結果、決定しました。
再挑戦する直接請求の 請求代表者は、7月と同じく、以下の3名の市民です。
荒川圭子さん 郡山市からの自主避難者
濱口 弘さん はまぐちギフト
上野正美さん 「ふくしまいせしまの会」代表
今後百年生き永らえたとしても決して体験できないような311原発事故の体験に立ち返り、そこから再び決意を新たにし、日々、知恵と創意と工夫をこらして、今度こそ必ず、目標の署名を集め、山上憶良に負けないくらい、子どもらを思う伊勢市民の、チェルノブイリ法日本版条例に寄せる願いと民意を市議会に届ける決意です。
まずは、決起集会を以下の日程・場所で開くことを決めました(詳細は追って)。
子どもらを思う皆さん、一緒に力を合わせて子どもらを守りましょう。
◆日時: 2020年2月15日(土)
◆場所: いせシティープラザ 1階ホール(※)
〒516-0037 三重県伊勢市岩渕1丁目2−29
電話番号 0596-24-2751
◆参加者: 柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
ほか
(※) いせシティプラザは、いせ市民活動センターの中にあります。
取り急ぎ、速報でした。
2019年11月17日日曜日
【お知らせ】12月22日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「なかったことにはさせない!--福島原発事故の人権侵害」(港区リーブラ)
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)のお知らせ。
2019年10月11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、東京都調布市と福島県郡山市でやりました。
調布市(10月26日。詳細->こちら) 郡山市(11月2日。詳細->こちら)
この2つの学習会は、それまでの学習会のメインテーマ、
--なぜ今、チェルノブイリ法日本版なの?
--どうやって、チェルノブイリ法日本版を実現するの?
という入り口の総論の話から、次の段階に進み、
チェルノブイリ法日本版条例の中身について、
--その条例は誰が、何のために、誰のために作るの?
--どんな内容なの?キーワードと言われる予防原則とどんな関係があるの?
という各論のテーマについての話を試みたものでした。
まだ暗中模索の域を出ない試みとしか言えないものですが、参加した皆さんのリアクションから、この試みがとても大切なもの、必要なものだと確信しました。
そこで、その続きを、来月12月22日(日)13時半から、東京港区の「リーブラ」1階和室大広間(以下の地図等を参照)で行ないます。
10月、11月の学習会のプレゼン資料とレジメを、末尾に転載しました。
皆さんのご参加をお待ちしています。
柳原の話 13 時半~15時
質問タイム 15時~15時半
交流会 15時45分~16時半
◆ 参加費 無料
ただし、会場準備の都合上、参加希望の方は090-8494-3856(岡田)までご一報頂くようお願いします。
◆ 主催:脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)
問い合わせ先 090-8494-3856(岡田)
◆◆ 10月・11月の学習会の資料
2019年10月11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、東京都調布市と福島県郡山市でやりました。
調布市(10月26日。詳細->こちら) 郡山市(11月2日。詳細->こちら)
この2つの学習会は、それまでの学習会のメインテーマ、
--なぜ今、チェルノブイリ法日本版なの?
--どうやって、チェルノブイリ法日本版を実現するの?
という入り口の総論の話から、次の段階に進み、
チェルノブイリ法日本版条例の中身について、
--その条例は誰が、何のために、誰のために作るの?
--どんな内容なの?キーワードと言われる予防原則とどんな関係があるの?
という各論のテーマについての話を試みたものでした。
まだ暗中模索の域を出ない試みとしか言えないものですが、参加した皆さんのリアクションから、この試みがとても大切なもの、必要なものだと確信しました。
そこで、その続きを、来月12月22日(日)13時半から、東京港区の「リーブラ」1階和室大広間(以下の地図等を参照)で行ないます。
10月、11月の学習会のプレゼン資料とレジメを、末尾に転載しました。
皆さんのご参加をお待ちしています。
◆ 日時:2019年12月22日(日) 13:30~ (開場13:00)
◆ 会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」(公式サイト) 1階 和室大広間(以下の赤丸の部屋)
〒105-0023
東京都港区芝浦1-16-1 みなとパーク芝浦
TEL:03-3456-4149 ->地図)
アクセス JR田町駅東口 徒歩5分
都営地下鉄三田駅 A6出口 徒歩6分
◆ 会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」(公式サイト) 1階 和室大広間(以下の赤丸の部屋)
〒105-0023
東京都港区芝浦1-16-1 みなとパーク芝浦
TEL:03-3456-4149 ->地図)
アクセス JR田町駅東口 徒歩5分
都営地下鉄三田駅 A6出口 徒歩6分
◆ 演題: 市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
チェルノブイリ法日本版条例案の中身について
チェルノブイリ法日本版条例案の中身について
――願い・夢をカタチにするまでのプロセス――
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
◆ スケジュール
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
柳原の話 13 時半~15時
質問タイム 15時~15時半
交流会 15時45分~16時半
◆ 参加費 無料
ただし、会場準備の都合上、参加希望の方は090-8494-3856(岡田)までご一報頂くようお願いします。
◆ 主催:脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)
問い合わせ先 090-8494-3856(岡田)
◆◆ 10月・11月の学習会の資料
◆10月のプレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。 しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
◆ 10月のレジメ(PDFは->こちら)
**************
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
2019年10月26日1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。 しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
2019年11月3日日曜日
【報告】福島県郡山市、11月2日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」ミニ学習会
◎動画(参加者全員の自己紹介と質疑応答・意見交換)を追加アップしました(2019.11.10)
◎2018年12月1日、郡山での第1回学習会の報告は->こちら
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)の記録。
2019年11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 11月2日(土)、「チェルノブイリ法日本版(被災者を守る条例をつくる)郡山の会」主催で、福島県郡山市の「ミューカルがくと館」でやりました。
今回は内輪のミニ学習会・交流会というものでしたが、内容的には、先週、東京都調布市でやった学習会「なかったことにはさせない!第2弾--誰がためにチェルノブイリ法日本版条例は鳴る」の続きで、文字通り、各論の話=チェルノブイリ法日本版の具体的な内容を話すという、今までやったことのない取組みでした。
この日、地元郡山からKOCOラジの鈴木則雄さん、「雪を耕す―フクシマを生きる」の著者で、喜多方から元高校教師の五十嵐進さん、白河から元新聞記者の方‥‥オーストラリアのメルボルン大学教員の小川晃弘さんも参加。ご自身のチェルノブイリ法日本版への関心、関わりについて自己紹介していただきました。
以下、当日の動画とプレゼン資料&レジメ&配布資料です。
◆動画
柳原敏夫の話(1時間20分)。
自己紹介1(小川晃弘さん〔オーストラリア・メルボルン大学教員〕)(12分)
自己紹介2(参加者全員)(10分)
参加者との質疑応答・意見交換(1時間28分)
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
◆ レジメ(10月26日の調布市の学習会と同じ内容)(PDFは->こちら)
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1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
◎2018年12月1日、郡山での第1回学習会の報告は->こちら
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)の記録。
2019年11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 11月2日(土)、「チェルノブイリ法日本版(被災者を守る条例をつくる)郡山の会」主催で、福島県郡山市の「ミューカルがくと館」でやりました。
今回は内輪のミニ学習会・交流会というものでしたが、内容的には、先週、東京都調布市でやった学習会「なかったことにはさせない!第2弾--誰がためにチェルノブイリ法日本版条例は鳴る」の続きで、文字通り、各論の話=チェルノブイリ法日本版の具体的な内容を話すという、今までやったことのない取組みでした。
この日、地元郡山からKOCOラジの鈴木則雄さん、「雪を耕す―フクシマを生きる」の著者で、喜多方から元高校教師の五十嵐進さん、白河から元新聞記者の方‥‥オーストラリアのメルボルン大学教員の小川晃弘さんも参加。ご自身のチェルノブイリ法日本版への関心、関わりについて自己紹介していただきました。
小川晃弘さん
以下、当日の動画とプレゼン資料&レジメ&配布資料です。
◆動画
柳原敏夫の話(1時間20分)。
自己紹介1(小川晃弘さん〔オーストラリア・メルボルン大学教員〕)(12分)
自己紹介2(参加者全員)(10分)
参加者との質疑応答・意見交換(1時間28分)
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
◆ レジメ(10月26日の調布市の学習会と同じ内容)(PDFは->こちら)
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市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
2019年10月26日1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
(2019.10.26)
2019年11月1日金曜日
【続報】調布市、10月26日の学習会の報告&「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」の通信1号・2号
以下は、10月26日の調布市で行った第2回目の学習会の報告の続きと、この学習会の主催団体「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」が発行している通信の1号と2号を紹介しました。
1、 学習会の報告(続き)
(1)、配布資料(レジメ)の冒頭「いかにして原発事故と向き合うか」について
「私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。
それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。」
この事態に対する次の問い、
「 私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。」
これは、言わずと知れた、311以来ずうっと、私たちに課せられた基本的な課題の1つです。
この課題について、今回の学習会の準備の中で、1つのヒントを授かりました。
それが、カントの言葉、
「倫理なき認識は盲目であり、認識なき倫理は空虚である。」
でした。
この言葉は次のように言い換えることができます。
「愛なき認識は盲目であり、認識なき愛は空虚である。」
または、
「実践なき認識は盲目であり、認識なき実践は空虚である。」
そこで今、この言葉を福島原発事故に当てはめれば、
「福島原発事故の救済は認識-倫理的(実践的)な取組みであり、一方だけでは盲目であり、空虚に陥る。」
人々が原発事故を忘れたいと考え、忘れたがってしまうのは、そのひとつの理由は、
実践(愛)なき認識は盲目であり、認識なき実践(愛)は空虚であるから、と。
だから、
知行合一(認識と行動を一致させる)は、単なる市民運動の標語にとどまるものではなくて、私たちの存在のあり方を根本から左右する真理なのだ、と。
だから、
「過酷な放射能災害の現実からつい逃げ、引きこもりに陥ってしまう」、これに打ち勝つためには知行合一を貫くしかないし、貫けばよい、それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
つまり、
市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクションを続けることで、私たちは持続可能な元気を授かり、現実に立ち向かうことができる、と。
(2)、不正、不正義、不誠実といった悪と向き合うことの意味について
今回の学習会の準備の前に、子ども脱被ばく裁判で、10月23日〆切の鈴木眞一教授への質問項目(その報告は->こちら)の最後の詰めのところで、正直、あごがあがり、猛烈に不愉快で、もう勘弁してくれ、ここから逃げ出したい、この宿題を投げ出したいという強烈な要求に襲われました。
その理由は単純で、ウソとインチキで塗り固めた甲状腺検査の実態を、なめ回すように追跡していくことが、最後の詰めに至り、もうこんな反吐が出るような作業に、勘弁してくれ!という猛烈に不愉快な気分に襲われてしまったからです。
しかし、だからといって、ここで投げ出すわけにはいかない。
そう思ったとき、私の脳裏に浮かんだのは、チョムスキーが「チョムスキーとメディア」という映画のラストで、インディーズ・メディアのインタビューで、次の質問を受けた場面でした。
「何百回も講演をしてますね、東チモールの虐殺やパナマ侵攻や『死の部隊』、恐ろしい話ばかりだ。
原動力は何です?
嫌には なりませんか」(→そのシーン)
この質問に対し、しばらく思案した彼は、静かに、謎のような言葉を語ります。
「鏡に映る自分の姿を直視できるかの問題だね」
今回の学習会の準備の中で、チェルノブイリ法日本版を再定義した時、なぜチョムスキーのように、悪の正体を執拗に追及し、人々に語る必要があるのかが分かった気がしました。
それは、今回の学習会に参加した人たちもそうでしたが、多くの人々は今なお、福島県の甲状腺検査で現実に何が行われ、子どもたちの健康状態の真実が何であるか、闇に閉ざされたままであることを余り知らないし、さほど関心も示しません。
だから、誰かが福島県の甲状腺検査の正体を、不正、不正義、不誠実で満ち満ちている悪の実態を追及し、人々に知らせる必要がある。「福島の犯罪」という冷水をボーとしている人々の頭の上に正しく浴びせかける必要がある。
「君は福島の甲状腺検査に関心がないかもしれないが、福島の甲状腺検査は君に関心がある」ことを、これをあなたたち一人一人の命、運命が関わっている問題であることを、人々に思い知ってもらう必要がある。
むかし、数学基礎論の分野で、「いかなる体系もその体系の中では決定不可能な命題が存在する」(不完全性定理)ことを証明したゲーデルという若者がいて、彼は数学の中で最も否定的な定理(不可能であることを示す定理)を証明したと言われました。
しかし、この彼がなぜ、最も否定的な定理を証明することができかというと、彼の中に、ものごとを肯定的に受け止める姿勢がものすごく強烈にあったからだと言われています。
つまり、最も肯定的な姿勢を保持できる人だけが、最も否定的な定理の証明に立ち向かうことができる。
これと同じ意味で、悪の実態を誰よりも執拗に追及し、これを暴露してやまないチョムスキーがなぜここまで徹底して悪に立ち向かうことができたのか、それは彼が、悪と正反対の、善と愛と正義を誰よりも徹底して肯定しているからなんだと分かりました。
2、学習会の主催団体「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」が発行している通信
調布市の8月と10月の学習会の主催団体が発行している会の通信を紹介します。
第1号: その一部を末尾に紹介。全文->こちら
日本各地の自治体レベルで、子どもたちの甲状腺検査を実施することの意義について
第2号: 全文->こちら
①.11.9新宿デモに寄せられた広瀬隆さんのメッセージ
この狂気の国家を見ていると、まさしく日本は、明治時代から始まったアジア侵略の罪から現在までを懺悔しなければならない心境です。
チェルノブイリ法日本版(すなわち福島第一原発法)の制定を最後の砦として構築してゆきましょう。
②.10月1日にスタートした子ども脱被ばく裁判の証人尋問に際して、身体を張って真実に向き合おうとする裁判官こそ、チェルノブイリ法日本版の会の会員に相応しい、推薦したいと思ったこと。
通信1号(抜粋)
1、 学習会の報告(続き)
(1)、配布資料(レジメ)の冒頭「いかにして原発事故と向き合うか」について
「私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。
それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。」
この事態に対する次の問い、
「 私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。」
これは、言わずと知れた、311以来ずうっと、私たちに課せられた基本的な課題の1つです。
この課題について、今回の学習会の準備の中で、1つのヒントを授かりました。
それが、カントの言葉、
「倫理なき認識は盲目であり、認識なき倫理は空虚である。」
でした。
この言葉は次のように言い換えることができます。
「愛なき認識は盲目であり、認識なき愛は空虚である。」
または、
「実践なき認識は盲目であり、認識なき実践は空虚である。」
そこで今、この言葉を福島原発事故に当てはめれば、
「福島原発事故の救済は認識-倫理的(実践的)な取組みであり、一方だけでは盲目であり、空虚に陥る。」
人々が原発事故を忘れたいと考え、忘れたがってしまうのは、そのひとつの理由は、
実践(愛)なき認識は盲目であり、認識なき実践(愛)は空虚であるから、と。
だから、
知行合一(認識と行動を一致させる)は、単なる市民運動の標語にとどまるものではなくて、私たちの存在のあり方を根本から左右する真理なのだ、と。
だから、
「過酷な放射能災害の現実からつい逃げ、引きこもりに陥ってしまう」、これに打ち勝つためには知行合一を貫くしかないし、貫けばよい、それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
つまり、
市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクションを続けることで、私たちは持続可能な元気を授かり、現実に立ち向かうことができる、と。
(2)、不正、不正義、不誠実といった悪と向き合うことの意味について
今回の学習会の準備の前に、子ども脱被ばく裁判で、10月23日〆切の鈴木眞一教授への質問項目(その報告は->こちら)の最後の詰めのところで、正直、あごがあがり、猛烈に不愉快で、もう勘弁してくれ、ここから逃げ出したい、この宿題を投げ出したいという強烈な要求に襲われました。
その理由は単純で、ウソとインチキで塗り固めた甲状腺検査の実態を、なめ回すように追跡していくことが、最後の詰めに至り、もうこんな反吐が出るような作業に、勘弁してくれ!という猛烈に不愉快な気分に襲われてしまったからです。
しかし、だからといって、ここで投げ出すわけにはいかない。
そう思ったとき、私の脳裏に浮かんだのは、チョムスキーが「チョムスキーとメディア」という映画のラストで、インディーズ・メディアのインタビューで、次の質問を受けた場面でした。
「何百回も講演をしてますね、東チモールの虐殺やパナマ侵攻や『死の部隊』、恐ろしい話ばかりだ。
原動力は何です?
嫌には なりませんか」(→そのシーン)
この質問に対し、しばらく思案した彼は、静かに、謎のような言葉を語ります。
「鏡に映る自分の姿を直視できるかの問題だね」
今回の学習会の準備の中で、チェルノブイリ法日本版を再定義した時、なぜチョムスキーのように、悪の正体を執拗に追及し、人々に語る必要があるのかが分かった気がしました。
それは、今回の学習会に参加した人たちもそうでしたが、多くの人々は今なお、福島県の甲状腺検査で現実に何が行われ、子どもたちの健康状態の真実が何であるか、闇に閉ざされたままであることを余り知らないし、さほど関心も示しません。
だから、誰かが福島県の甲状腺検査の正体を、不正、不正義、不誠実で満ち満ちている悪の実態を追及し、人々に知らせる必要がある。「福島の犯罪」という冷水をボーとしている人々の頭の上に正しく浴びせかける必要がある。
「君は福島の甲状腺検査に関心がないかもしれないが、福島の甲状腺検査は君に関心がある」ことを、これをあなたたち一人一人の命、運命が関わっている問題であることを、人々に思い知ってもらう必要がある。
むかし、数学基礎論の分野で、「いかなる体系もその体系の中では決定不可能な命題が存在する」(不完全性定理)ことを証明したゲーデルという若者がいて、彼は数学の中で最も否定的な定理(不可能であることを示す定理)を証明したと言われました。
しかし、この彼がなぜ、最も否定的な定理を証明することができかというと、彼の中に、ものごとを肯定的に受け止める姿勢がものすごく強烈にあったからだと言われています。
つまり、最も肯定的な姿勢を保持できる人だけが、最も否定的な定理の証明に立ち向かうことができる。
これと同じ意味で、悪の実態を誰よりも執拗に追及し、これを暴露してやまないチョムスキーがなぜここまで徹底して悪に立ち向かうことができたのか、それは彼が、悪と正反対の、善と愛と正義を誰よりも徹底して肯定しているからなんだと分かりました。
2、学習会の主催団体「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」が発行している通信
調布市の8月と10月の学習会の主催団体が発行している会の通信を紹介します。
第1号: その一部を末尾に紹介。全文->こちら
日本各地の自治体レベルで、子どもたちの甲状腺検査を実施することの意義について
第2号: 全文->こちら
①.11.9新宿デモに寄せられた広瀬隆さんのメッセージ
この狂気の国家を見ていると、まさしく日本は、明治時代から始まったアジア侵略の罪から現在までを懺悔しなければならない心境です。
チェルノブイリ法日本版(すなわち福島第一原発法)の制定を最後の砦として構築してゆきましょう。
②.10月1日にスタートした子ども脱被ばく裁判の証人尋問に際して、身体を張って真実に向き合おうとする裁判官こそ、チェルノブイリ法日本版の会の会員に相応しい、推薦したいと思ったこと。
通信1号(抜粋)
【(追加)報告】東京都調布市、10月26日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「なかったことにはさせない!第2弾」--「誰がためにチェルノブイリ法日本版条例は鳴る」
◎当日と同じ内容の話を昨日、郡山市でやったので、その動画(->こちら)を紹介します。
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、その最初の一歩の記録。
2019年10月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 10月26日(土)、「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」主催で、東京都調布市の「調布市文化会館たづくり」でやりました(末尾に学習会のチラシ)。
今回の学習会は8月に調布市でやった学習会「なかったことにはさせない!--福島原発事故の人権侵害」の続編で、今回は文字通り、各論の話=チェルノブイリ法日本版の具体的な内容を話すという、今までやったことのない取組みでした。
とはいえ、通常、法律の条文の解説は、お経の解説みたいなもので、参加者の皆さんに睡眠薬を提供し、眠りに陥ることがないようにするにはどうしたらよいか、工夫を凝らす必要がありました。
そこで、条文の具体的な解説に入る前に、総論として「どのようにして法律を眺めたらよいか、普段、私たちが知らないうちにかけている3つのメガネについて」解説しました。
それが、
(1)、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
(2)、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
(3)、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
これらのメガネを検討していく中で、チェルノブイリ法日本版のことを考えてきて、今までずっとモヤモヤしていた問題が初めて明確なカタチを取りました。
それが、チェルノブイリ法日本版の次の再定義です。
【単一法ではなく、総合法・集合法としてのチェルブイリ法日本版】
↓
確かに、チェルノブイリ法は「避難の権利」の保障を中心に制定された。
しかし、「福島の現実」に照らし、それだけでは不十分。 例えば健康検査。この仕組みを形式的、一般的に定めてみたところで、福島の県民健康調査の実態に照らしてみた時(※)、このような検査では汚染地の住民、子どもたちの命、健康を十分に守る検査にならないのは明らか。
→「福島の現実」を反復しないために、 「福島の現実」から徹底して学び、それを最高の反面教師にして、何をどう改めていったらよいか、徹頭徹尾、検証し直す必要がある。
↓
その検証を踏まえて、「避難の権利」の中心として、その周辺に、住民の命、健康を守るために必要かつ十分な以下の様々な仕組みを提案していく必要がある。
(※)数日前、福島地裁に提出した、証人が内定している福島県立医科大の鈴木眞一教授に対する(事実上の尋問というべき)質問書(→そのブログ記事)。これを振り返っていて、福島で現実に行われている、様々な欺まん、隠蔽が横行する甲状腺検査、ここから反面教師として学ばないで、チェルノブイリ法日本版の中で、ただ漠然と「検診を行う」「甲状腺検査を行う」といった規則をいくら定めても、それが結果的に、いま福島県が実施しているような検査になるんだったら、いくら「子どもたちの命、健康を被ばくから守る健康検査」と口にしても、それは結局、絵に描いた餅に終ってしまう。
もし、チェルノブイリ法日本版を表向きの美しい文句でお飾りした、絵に描いた餅で終らせるのではなく、真に「被ばくから命と健康を守る」中身と実効性のある法律にしていくのであれば、福島の欺瞞的な検査を反復しないような明確な検査のルールを定めることが必要不可欠だ、と。
それが、この日の学習会のメインテーマになった。
ただし、いざ、このビジョンを具体化して、チェルノブイリ法日本版を絵に描いた餅から生きた餅にする各論の作業が時間切れで間に合わず、総論倒れの気味で終ってしまった。
そこで、ここで掴んだ総論のビジョンを、今後、各地で行う学習会の中で血肉化して行きたい。
以下、当日のプレゼン資料&レジメです(動画は都合によりありません)。
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
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1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、その最初の一歩の記録。
2019年10月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 10月26日(土)、「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」主催で、東京都調布市の「調布市文化会館たづくり」でやりました(末尾に学習会のチラシ)。
今回の学習会は8月に調布市でやった学習会「なかったことにはさせない!--福島原発事故の人権侵害」の続編で、今回は文字通り、各論の話=チェルノブイリ法日本版の具体的な内容を話すという、今までやったことのない取組みでした。
とはいえ、通常、法律の条文の解説は、お経の解説みたいなもので、参加者の皆さんに睡眠薬を提供し、眠りに陥ることがないようにするにはどうしたらよいか、工夫を凝らす必要がありました。
そこで、条文の具体的な解説に入る前に、総論として「どのようにして法律を眺めたらよいか、普段、私たちが知らないうちにかけている3つのメガネについて」解説しました。
それが、
(1)、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
(2)、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
(3)、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
これらのメガネを検討していく中で、チェルノブイリ法日本版のことを考えてきて、今までずっとモヤモヤしていた問題が初めて明確なカタチを取りました。
それが、チェルノブイリ法日本版の次の再定義です。
【単一法ではなく、総合法・集合法としてのチェルブイリ法日本版】
↓
確かに、チェルノブイリ法は「避難の権利」の保障を中心に制定された。
しかし、「福島の現実」に照らし、それだけでは不十分。 例えば健康検査。この仕組みを形式的、一般的に定めてみたところで、福島の県民健康調査の実態に照らしてみた時(※)、このような検査では汚染地の住民、子どもたちの命、健康を十分に守る検査にならないのは明らか。
→「福島の現実」を反復しないために、 「福島の現実」から徹底して学び、それを最高の反面教師にして、何をどう改めていったらよいか、徹頭徹尾、検証し直す必要がある。
↓
その検証を踏まえて、「避難の権利」の中心として、その周辺に、住民の命、健康を守るために必要かつ十分な以下の様々な仕組みを提案していく必要がある。
もし、チェルノブイリ法日本版を表向きの美しい文句でお飾りした、絵に描いた餅で終らせるのではなく、真に「被ばくから命と健康を守る」中身と実効性のある法律にしていくのであれば、福島の欺瞞的な検査を反復しないような明確な検査のルールを定めることが必要不可欠だ、と。
それが、この日の学習会のメインテーマになった。
ただし、いざ、このビジョンを具体化して、チェルノブイリ法日本版を絵に描いた餅から生きた餅にする各論の作業が時間切れで間に合わず、総論倒れの気味で終ってしまった。
そこで、ここで掴んだ総論のビジョンを、今後、各地で行う学習会の中で血肉化して行きたい。
以下、当日のプレゼン資料&レジメです(動画は都合によりありません)。
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
◆ レジメ(PDFは->こちら)**************
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
2019年10月26日1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
(2019.10.26)
学習会のチラシ(表)
学習会のチラシ(裏)
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