チェルノブイリ事故から40年、福島原発事故から15年を迎えた今年(2026年)、日本と世界の社会はどこに向かおうとしているのか、今、何が問われているのか。それについて考える以下の講演とパネルディスカッションを5月23日、港区の明治学院大学白金校舎で行います(>以下のチラシのPDF なお、学生は無料)。
「いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない。‥‥
道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。いばらばかりのところに開拓してできたものだ」〔「随感録」(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)〕
もちろん魯迅は核兵器も原発も原発事故も知らない。しかし、311後を経験した者にとっては、魯迅のこの言葉は原発事故後の世界に生きる者のために語られたもののように、胸に突き刺さる。半世紀前、日本社会が公害で荒廃と滅亡の危機にあったとき、この国の支配者も市民も公害の克服に向けて取り組み、曲がりなりにもその危機から脱した。しかし、半世紀後の今日、前例のないカタストロフィ=原発事故で再び日本社会が荒廃と滅亡の危機に陥ったとき、この国の支配者はもはやこの危機を克服することを止め、日本社会が病気と人権侵害のゴミ屋敷に朽ちることを放置(ネグレクト)した。暗黒と悲惨が日本社会を襲いかかってきた。だからこそ、百年前の魯迅のこの言葉が胸に突き刺さる。
そう思って、魯迅の文を再読してみた。そしたら、魯迅が、なぜ、
いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、
いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、
いかなる罪悪が人道をけがそうとも、
完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない
と考えたのか、その理由が次のように書かれていた。
これらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない力、その力の源泉は生命にある。なぜなら、生命はたえず無限の精神三角形の斜面に沿って登ってゆく。何ものもそれを阻止することはできないから。生命は死を恐れない。死の面前で、笑いながら、踊りながら、滅亡した人間を踏み越えて進んでいくから。
それは、子どもをみれば明らかだ。子どもは生命そのものであり、子どもたちは未来しかない存在なのだから。
放射能という見えない暗黒と悲惨が襲い掛かって、病気と人権侵害のゴミ屋敷と化した311後の日本社会をどのようにして、健康と人権屋敷に再建するのか、そして、暗黒と悲惨の障害物を踏みこえて前進せずにはいない力=生命を、どのようにして見出すのか、5月23日の4人の講演とパネルディスカッションの1人として参加する中で参加する市民の人たちと一緒に考えたいです。 (文責 柳原敏夫)
いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、
いかなる罪悪が人道をけがそうとも、
完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない
と考えたのか、その理由が次のように書かれていた。
これらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない力、その力の源泉は生命にある。なぜなら、生命はたえず無限の精神三角形の斜面に沿って登ってゆく。何ものもそれを阻止することはできないから。生命は死を恐れない。死の面前で、笑いながら、踊りながら、滅亡した人間を踏み越えて進んでいくから。
それは、子どもをみれば明らかだ。子どもは生命そのものであり、子どもたちは未来しかない存在なのだから。
放射能という見えない暗黒と悲惨が襲い掛かって、病気と人権侵害のゴミ屋敷と化した311後の日本社会をどのようにして、健康と人権屋敷に再建するのか、そして、暗黒と悲惨の障害物を踏みこえて前進せずにはいない力=生命を、どのようにして見出すのか、5月23日の4人の講演とパネルディスカッションの1人として参加する中で参加する市民の人たちと一緒に考えたいです。 (文責 柳原敏夫)
この点、私(柳原)は魯迅の次の言葉が胸に刺さっている。
「希望とは、もともとあるものだとも言えぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。
もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」〔「故郷」(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集1」)〕
その希望について、私は、311後の翌年、311後から1年間を振り返って書き留めた次の備忘録と1年前、日本社会のこれから百年間の悲劇が311から始まったことを書き留めた次の備忘録が、今の私の希望につながっている。この道が出来るのか、荒地のままにするのか、それを決めるのは私たち市民の手にかかっている。
◎「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか。疎開裁判から市民立法へ(2012.7.19一部追加)
目 次
1、はじめに--二度目の3.11(人災)
2、福島原発事故の未来は原発事故の過去にある
3、三大政策の1つ「情報を隠すこと」の核心が子どもの被ばく情報だった
4、三大政策の1つ「様々な基準値を上げること」の動機が子どもの疎開を阻止するためだった
5、なぜキエフで子どもたちの集団疎開が実現したにもかかわらず、日本では実現しないのか
6、認識をまちがえた善意の献身が最悪の事態をもたらす――事故直後の犠牲者の殆んどが事故の認識をまちがえた善意の献身者たちで、落命は避けられた人災だった
7、「最も悪いのは放射能を怖がる精神的ストレス」論の起源はベトナム・シンドローム
8、原子力ムラの御用学者の起源は「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー
9、原発事故は形を変えた核戦争であり、放射線と戦争の原理原則が貫徹される
10、事故5年後に制定された住民避難基準(チェルノブイリ法)はチェルノブイリの憲法9条である
11、もし住民避難基準(チェルノブイリ法)がもっと早く事故直後に制定されていれば98万人余の犠牲は避けられた
12、もし戦争終結がもっと早ければ、ヒロシマ・ナガサキの悲劇はなかった
13、おわりに--泣くのなら、今思い切り泣く、5年、10年後には泣かない

