作家の大岡昇平は、毎年の広島⻑崎原爆投下と終戦の日を「日本人が正気に帰る日」と言いました。普段は日常の細々したことに追われていても、この日だけは自分たちの置かれている異常な世界を思い、正気を取り戻す必要がある、と。
NHK「チェルノブイリ26年後の健康被害」を制作した馬場朝子氏は、ソ連崩壊後独立したウクライナが政争に明け暮れ、混迷に陥った歴史を振り返り、自身の痛恨を込めて言う、政争にではなく、チェルノブイリ事故にもっと目を向けるべきだった、と。
ベラルーシの物理学者マリコ氏は医師の菅谷昭氏に「チェルノブイリ事故は四番目の問題」と国⺠の無関心を嘆いた。その無関心さと同国のルカシェンコ独裁政権の出現とは表裏の関係にあると私には思える。
福島原発事故を経験した私たちも同様だ。私たちも正気に帰る必要がある。
原発事故後、抜本的な問題は何一つ解決していないのに、事故は終わったかのようにみなす幻想的で正気を失った現実から目覚めて我に返るために。それが年一度のチェルノブイリ法日本版の会の総会の意義です。総会は私たちが正気を取り戻す日です。
2022年、チェルノブイリ事故と同じ日に開催された 5 回目の総会に参加し改めてそう思いました。
そればかりか、この 1 年間の振り返りの中でとうとう見つかった、人権の永遠の姿が。今までなら、人権は「今ここで」即座に達成が可能な自由権か、それとも国は政策を推進する政治的責任を負うにとどまる社会権かのいずれかだったのがそのどちらでもない「もうひとつの社会権」が可能だ、と。
それが国の経済力、資源などの客観的条件を踏まえ、権利の完全な実現にむけて「漸進的に達成するため」利用可能な資源を最大限に用いて立法その他で適切な「措置を取る」ことを法的な責任として認める社会権の出現です。それが 1966 年に国際人権法である社会権規約の採択。その理念は、日々、たえざる創意工夫の積み重ねの中でコツコツ改善を積みあげ、ゴールに向かって「漸進的に近づいていく」ことに果敢に挑戦するチェルノブイリ法日本版の会の行動モデルをピッタリ言い表した言葉であり、知らずして、私たちの日々の努力は世界普遍の人権概念に照応しているのだと確信を抱きました。
協同代表・柳原敏夫
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