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2022年2月8日火曜日

新しい酒は新しい皮袋に — チェルノブイリ法日本版の思想について —

柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会 協同代表、弁護士)

 

原発事故被害者の救済が目的

  チェルノブイリ法日本版の概要を説明しますが、今回は具体的な条文よりもむしろ「理念・思想」のお話をします。

 日本版制定の運動には、「チェルノブイリ法日本版の内容」「法の実現の方法」の2つの側面があります。内容に関しては「人権」、方法については「民主主義」、がそれぞれキーワードです。今日のお話では、法の内容と法の実現の方法、これらを知ることと同時に、日本版の取り組みが人類史における人権思想の発見創造及び発展と関わっていることを理解していただきたいと願っています。

 まず、福島原発事故という未曾有の事態を経験した私たちのミッション(使命)、目的とは何か。それは「3.11後に日本政府や社会に出現した不正義を正して、本来の政治を実現すること」。

 具体的には原子力災害の被害者の救済です。3.11後の福島を覆っている災害の新しさ。原発事故という従来の災害観ではとらえきれない新しい問題。これに対して法律がまったく対応・適応していません。この著しいギャップのために、適切な救済を受けられずに打ち捨てられている人々。この人々に対しての本来の救済をまず実現したいということが、チェルノブイリ法日本版制定の大きな動機です。

 

改定公害対策基本法を作らせた市民の戦いに立ち戻る

 「方法」から先にご説明します。目標を実現する方法とは、現前する行き詰まった民主主義を超える民主主義。今の日本の「政治の機能不全」あるいは「民主主義の機能不全」を嘆いているだけでは仕方ない。民主主義の原点に還ることで乗り越える。それは直接民主主義的側面が持つ方法です。市民が主導して民主主義を実現するという方法論に立ち返ろうというのです。

 ところで、市民主導の民主主義を実践してきた経験が、日本の市民運動にはあります。半世紀前の、公害という未曾有の異常事態に対する市民の戦い。公害克服の大きな民意があって市民運動が盛り上がった。その成果が1970年の「公害国会」による立法的解決をもたらしました。公害対策基本法改定と関係14法の制定です。そういう市民の半世紀前の歴史的経験に立ち返った「市民立法」がチェルノブイリ法日本版の方法です。「新らしい酒は新しい皮袋に盛れ」。「日本版」が新しい酒であり、「市民立法」が新しい皮袋です。

 

人権の主体と認められてこなかった被害者

 内容について説明をさせていただきます。3.11前の日本の法律の内容と思想には大きな欠落がありました。内容については「放射能災害というものは起きない」という安全神話を盲信していて、対策はやったとしてもなおざりの儀礼的なものにとどまった。本当の意味の原発事故被害対策は完全に没却されていたのです。法律の体系は、放射能災害に対する対策は完全に無法状態にあったのです。

 その法の思想に関しても、放射能災害以外の、地震や津波の災害における基本理念というのは、被害者は「政府の保護や救済の対象」として捉えていました。被害者を「人権の主体」として捉えてこなかった。つまり人権思想が不在であったことが、3.11前の大きな特徴です。

 問題は、3.11後にどうなったかということですが、これもまったく変わらなかった。

 原発事故が起きてしまった後に、国がやったことは、災害救助法の時の理念と同じです。原発事故被害者をあくまでも国家の保護救助の対象として、彼らに対して指示や命令や勧奨等に従うことを求めました。住宅やお金が提供された市民は黙ってありがたく受け取るだけの施しお恵みの対象でした。受け身の存在として扱われることがあっても決して人権の主体としては扱われなかった。そこは3.11前と同様なのです。

 被災者は受け身の存在であることから、救済策はこれでおしまいと国が決めたら、例え不満であっても従うだけの結果となるのは必然だったのです。

 

被害者の人権を法に定めると国家に責任と義務が生じる

 しかしこれがひとたび被災者の立場を人権の主体としてとらえた場合には、事態が一変します。なぜなら人権の主体としてとらえた場合には、国の責任と義務が発生するからです。市民の人権を侵害しない、させないというのが、人権に対する国の義務です。ですからお金の給付とか住宅の提供を打ち切る場合も、それが人権の侵害にならないかが、厳しく問われることになります。

200年以上前の史上初の人権宣言=ヴァージニア憲法の原点なんですが、同憲法には「政府というものは本来市民の利益のために作られて、それに反する政府は改良し変革しまたは廃止するというのが市民の権利である」とはっきり謳われています。人権の主体として認められたときには、市民にこのような権利が発生します。なぜ「原発事故子ども被災者支援法」ではこういうことが謳われなかったのか。それこそが政府にとっては市民に渡すわけにはいかない権利だったわけで、「権利」の字句は一言も書かれていないのです。

 これに対して、チェルノブイリ法日本版の意義は「人権の本質原点に立ち返って放射能災害における被災者の救済を再定義する」ということにあります。

 

人権は一瞬たりとも途切れることがない

 もともと人権というのは「日本国民である」とか「福島県民である」とか「ナントカである」ということに基づいて認められる権利ではない。ただ人であることだけに基づいています。人は唯一無二の存在であるという個人の尊重の理念に立脚したものです。これは、歴史的にはアメリカ革命(アメリカの独立戦争)で出現して、その後普遍的なものとして承認されてきた人類至高の権利です。私たちは、ここに立ち戻って、放射能災害における被災者の救済を再定義しようと提起しています。

 先ほど言いましたように、人権がある場合には、人権を侵害しないこと、人権の保障を実行すること、 これが国家の唯一の義務になります。しかも人権はオギャーと生まれたときから死ぬまで(安倍元首相が大好きな言葉でしたが)「切れ目なく、一瞬たりとも途切れることなく」保障される権利です。ですから、原発事故が発生したからといって、被災者は一瞬たりとも人権を喪失することもなければ、国家は一瞬たりとも人権を実行する義務を免れることはありません。これが大原則です。

 

避難・移住を人権として法に定める

 しかも原発事故の救済の理念とは、避難です。これは現状認識から来ることで、現代の科学技術の水準ではひとたび原発事故が発生したら放射性物質の封じ込めは不可能です。なおかつ人間の身体は放射線には勝てません。この現状認識から導かれる結論は、ひとたび原発事故が発生した場合、最善の救助策は人びとを原発から拡散した放射性物質から遠ざけること、避難ですね。これが救済の基本理念になるわけです。

 この基本理念に立って、チェルノブイリ法日本版は、事故直後であっても、その後のある程度落ち着いた時点であっても、とにかく放射性物質から人びとが避難すること、これを基本として、なおかつこれを人権として保障しようというものです。条例案にありますけれども、事故直後には一時的な緊急避難としての「避難の権利」を定めています(日本版条例案14条)。その後ある程度落ち着いた段階で、今度は恒久的な避難をするかしないかの意味での「移住の権利」を定めてあります(日本版条例案11条)。これらを全て人権として保障してあります。日本の法律には災害における人権という発想はないのですが、東京都の公害防止条例(1969年)の前文ははっきりと人権を謳っています。「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有する」これをモデルにして、日本版の前文も作られています。

   放射線防護の国際的な基準である「年間1ミリシーベルト(mSv)以上の被曝をさせない」ということをはっきり謳っているのが旧ソ連諸国のチェルノブイリ法です。これを最初の救済のステップとして日本にも導入するのが日本版です。但し、これはあくまでも最初のステップで、さらに厳密に子供や妊婦や弱い立場の人たちをより手厚く保護する形で内容を充実させていこうと考えています。

 

*本稿は20211120日、「育てる会主催のオンライン・イベント避難者と語る「今欲しい チェルノブイリ法日本版」」における柳原報告の文字起こしを元にまとめました(文責 柴原洋一)。
*私たち育てる会にとっての「市民立法」とは具体的には、それぞれの市町村や都道府県で、チェルノブイリ法日本版条例を制定し、その積み上げによって国の法律にする。このプロセスを市民主導で実現することを指します。

 

 

 

 


 


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