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2026年7月14日火曜日

【報告】「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」ーー311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための7月12日(日)の報告&対話集会(26.7.14)

「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会を東中野のポレポレで、7月12日(日)の12時と14時半と各2時間ずつ、2回にわたって行ないました(>そのお知らせ)。

当日は1回目、2回目とも盛況で、遠くカナダ・米国、九州、青森からも参加がありました。
対話の部分は非公開のため、以下、そのうちの報告の第一部・第二部の動画とパワポ資料です。
◆第1回目の回
第1部


第2部


◆第2回目の回
第1部


第2部


◆ラストの締めくくり(小川晃宏と柳原敏夫)
 

◆集会を終わっての感想(順次、アップします)。

・柳原敏夫 「人権の再発見と対話の経験」
第2回目の第3部で、双葉町から避難した若者が参加し、発言しました。それは311で自分が被害に遭っているとは感じてきたけれど、それが人権侵害だとは知らなかった、それに今日、気がついた、というもので、私はそのような対話がしたくて、今日の準備をしてきたので、本当によかった、このひとことだけでもこの対話集会をやった意味があったと思いました。
そして、それは私自身の人権に対する、もう一度、新たな発見でした。5年前に3回目の総会を終えて、気がついた以下のことです(ニュースレターの原稿からの引用)。

人権はこれを保障する憲法が制定されたから私たちの目の前に存在するものではありません。私たちが発見して初めて存在するものです。なぜなら、人権の本質であり出発点である「個人の尊厳」つまり、どんな地位、職業、社会的評価であろうとそれに関係なく、この世に同じ人間は二人といない、ゆえにひとりひとりの存在こそ至高の価値を有し尊い存在なのだという「個人の尊厳」は、事実として自然に存在するものではなく、私たちが「価値」というメガネをかけたとき初めて見出しうるもの、人間が「考える葦」になったとき初めて発見できるものだからです。

なおかつ、人権宣言の歴史が教えることは、私たちはいきなり「人権を発見」することができないということです。いつも最初に発見するのは「人権侵害」です。だからといって、私たちは目の前にいくら悲惨な現実を積み上げていったとしても、それで「人権侵害」に自然に辿り着く訳ではありません。「人権侵害」に辿り着くためには、目の前の悲惨な現実に対し、私たちの心の中で「私たちを人間として扱え!」という声が私たちの心の中から沸きあがる必要があるからです。その意味でも、「人権侵害」は発見するほかないものです。

放射能による健康被害という未曾有の惨禍に対し、放射能災害における人権保障という観点から救済を定めたのがチェルノブイリ法日本版です。しかし、この法律の意義を理解するためには、放射能による健康被害という現実を「人権侵害」としてとらえ直すことが不可欠です。それは私たちが「考える葦」になったとき初めて発見できるものなのです。



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