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2022年5月14日土曜日

【報告】矢ヶ﨑克馬氏 (琉球大学名誉教授・市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会 正会員)による「チェルノブイリ法日本版」の紹介動画です。

202252日、沖縄県庁記者クラブで行われた矢ヶ﨑克馬氏の記者会見『新事実「東電原発事故による死亡者増加は100万人規模」判明!の一部(220)です。

 


 

 

 

 

以下、記者会見全体の動画です。『新事実「東電原発事故による死亡者増加は100万人規模」判明!』44分過ぎにチェルノブイリ法日本版の必要性に言及します。

 


 

 

 

2022年5月10日火曜日

【報告】2022 年 4 月 26 日に第 5 回定期総会を行いました。以下、協同代表・柳原敏夫弁護士の総会の感想です。

「正気に帰る」と「漸進」という普遍的な思想――


作家の大岡昇平は、毎年の広島崎原爆投下と終戦の日を「日本人が正気に帰る日」と言いました。普段は日常の細々したことに追われていても、この日だけは自分たちの置かれている異常な世界を思い、正気を取り戻す必要がある、と。


NHK「チェルノブイリ26年後の健康被害」を制作した馬場朝子氏は、ソ連崩壊後独立したウクライナが政争に明け暮れ、混迷に陥った歴史を振り返り、自身の痛恨を込めて言う、政争にではなく、チェルノブイリ事故にもっと目を向けるべきだった、と。


ベラルーシの物理学者マリコ氏は医師の菅谷昭氏に「チェルノブイリ事故は四番目の問題」と国の無関心を嘆いた。その無関心さと同国のルカシェンコ独裁政権の出現とは表裏の関係にあると私には思える。


福島原発事故を経験した私たちも同様だ。私たちも正気に帰る必要がある。

原発事故後、抜本的な問題は何一つ解決していないのに、事故は終わったかのようにみなす幻想的で正気を失った現実から目覚めて我に返るために。それが年一度のチェルノブイリ法日本版の会の総会の意義です。総会は私たちが正気を取り戻す日です。

 

2022年、チェルノブイリ事故と同じ日に開催された 5 回目の総会に参加し改めてそう思いました。

そればかりか、この 1 年間の振り返りの中でとうとう見つかった、人権の永遠の姿が。今までなら、人権は「今ここで」即座に達成が可能な自由権か、それとも国は政策を推進する政治的責任を負うにとどまる社会権かのいずれかだったのがそのどちらでもない「もうひとつの社会権」が可能だ、と。

それが国の経済力、資源などの客観的条件を踏まえ、権利の完全な実現にむけて「漸進的に達成するため」利用可能な資源を最大限に用いて立法その他で適切な「措置を取る」ことを法的な責任として認める社会権の出現です。それが 1966 年に国際人権法である社会権規約の採択。その理念は、日々、たえざる創意工夫の積み重ねの中でコツコツ改善を積みあげ、ゴールに向かって「漸進的に近づいていく」ことに果敢に挑戦するチェルノブイリ法日本版の会の行動モデルをピッタリ言い表した言葉であり、知らずして、私たちの日々の努力は世界普遍の人権概念に照応しているのだと確信を抱きました。

 

                                                                    協同代表・柳原敏夫

2022年5月2日月曜日

【投稿】本会の正会員である三宅征子さん(東京都調布市在住)の意見を紹介します。

 国際人権法とチェルノブイリ法日本版

 

   私は、「市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会」の会員です。この会は、チェルノブイリ法に倣い、それを超える日本版を市民立法で作ることをを目指しています。

 

   福島原発事故から11年が経ち、多くの人がこの未曾有の大災害を忘れつつありますが、今なお避難者は33千人を超えています。

 

  チェルノブイリ法は、19864月に起きたチェルノブイリ原発事故の5年後の1991年にソ連で制定された法律で、事故処理作業者、汚染地域の避難者、残留者、事故後に生まれた子ども達まで、被害者の救済を国に義務づけたものです。現在はウクライナ、ベラルーシ、ロシアに引き継がれています。そしてこの法律には「被害の補償は国家の責任」と明記されています。

 

  日本の法律はどうでしょうか。福島原発事故直後、超党派の国会議員による「子ども被災者支援法(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律)」が成立しましたが、具体的な政策を行政府に委ねる法律のため、役人の徹底的なサボタージュによって日の目を見ないまま廃止同然となりました。今、様々な裁判で原発事故について争われていますが、ここでも行政側は一貫して責任を認めていません。

 

  なぜ、日本の行政は、市民のまっとうな要求を蹴散らすことができるのか。これに対する答えとして、チェルノブイリ法日本版の会の協同代表で、「子ども脱被ばく裁判」など多くの原発裁判で代理人を務めている柳原敏夫さんの文章を引用させていただきます。

 

明治以来150年の行政庁の横暴の正当化のロジック「行政裁量権」に挑戦する半世紀前に、日本の環境破壊を市民立法で守った先駆けとなったのが1969年成立の東京都公害防止条例ですが、この条例制定に尽力した戒能通孝が講演で語った言葉に、「明治以来の大学の法学教育のエッセンスは何か?それは、将来、役人や裁判官になる法学生達に『拒絶法学を叩き込むこと』にある。拒絶法学とは何か?それは、市民の要求を蹴っ飛ばす(拒絶する)ための屁理屈のことである。これを教え、身に付けさせて、市民の要求をことごとく退けて、諦めさせる、それが大学の法学教育の目的であった」と。

 

その拒絶法学の金字塔が「行政裁量論」です。行政が何をしようが、市民に「違法だ!」と文句を言わせないロジックです。

      

この横暴が311以後、目に余るほど横行しています。子ども脱被ばく裁判の一審判決も、放射能の危険性を裏付ける証拠と主張をことごとく、この行政裁量論で蹴散らし(拒絶し)ました。

 

今日、行政裁量論に求められていることは個々の行政裁量の暴走に対する批判にとどまらず、行政裁量が暴走できないような構造的な枠組み作りです。この枠組みが適正に機能して行政裁量の暴走をストップできた時、行政裁量の欺瞞を回避して正義に接近することが可能となるのです。(引用ここまで)

 

 

  この行政裁量が大活躍するのが「子ども被災者支援法」です。この法律は、原発事故の救済を国の施策(裁量)に全面的に任せ、国は一切法的責任を負わず、政治的責任にとどまるとしたからです。他方、この行政裁量の余地を最小限にしたのがチェルノブイリ法日本版です。この法律は、原発事故の救済の具体的内容を法律で定め、国は法律の定めた内容通り実行することを義務づけられるという法的な責任を負うものだからです。

 

  同時に「チェルノブイリ法日本版」は国際人権法の基本原理を具体化したものです。市民の命、健康、暮らしを守ることを「市民の人権」として具体的に保障する、つまり「避難の権利」や「移住の権利」そして「健康に暮らす権利」を保障する法律です。これは国際人権法の社会権規約を形にしたものといえます。

 

  1966年に制定された国際人権法・社会権規約は画期的なものでした。これまで権利というと権利の実現を「今ここで即時に」達成するものと考えられ、国の政策を求める社会権は政策を推進する政治的義務を負うにとどまると考えられてきましたが、社会権規約はそのどちらでもない、新しい権利概念を導入したからです。それが、権利の実現を、資源の制約という客観的な条件を踏まえ、また各国の経済力の格差も考慮して、「権利の完全な実施に向けて漸進的に達成するため」利用可能な資源を最大限に用いて立法その他の適切な「措置を取る」ことを政治的義務ではなく、法的義務として規定したことです。

 

 この規約に照らせば、経済力のある日本では、ただちに被災者の「避難の権利」「移住の権利」さらに「健康に暮らす権利」が認められなければならないことになります。それを怠り放置した政府は責任を問われなければならず、行政の裁量の範囲などとうそぶくことは許されません。

 

 このようなやるべきことをやらないで、かたや平和憲法に違反する軍事費の際限のない増強など、決して許されるものではありません。

 

  チェルノブイリ法日本版の実現は、情報公開法のように、まず全国の自治体で、市民が主体となって条例を制定し、その積み重ねによって国会で法律を成立させることを目指しています。私の住む調布市でも何人かの仲間と取り組みを始めていますが、各地の自治体でもぜひ取り組んでいただきたいと思います。

 

                                                                                     東京都調布市 三宅征子

【お知らせ】ニュースレター第10号の発行(2024.12.8)

   市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会では、全国各地の会員の日々の取り組み、活動を随時、ニュースレターにして発行、賛助会員その他支援者の皆さんに配布しています。 これまでのニュースレター      第1号 -> こちら      第2号 -> こちら      第3号 ->...