2022年1月29日(土)に、オンラインイベント ☆☆☆「今欲しい チェルノブイリ法日本版」☆☆☆福島の闇を語る(飛田普秀さん)が開催されました。
50人近くの参加がありました。ありがとうございました。
以下、その報告です。
◆◆動画(約90分)◆◆
1 柳原敏夫(弁護士/日本版・協同代表)からの挨拶
2 飛田晋秀さん(福島県・三春町在住の写真家)のお話 3 対談:飛田晋秀さん、柳原敏夫
◆◆参加者の感想◆◆
一部、内容に差し支えない範囲で、編集しています。
コメント1 「このような事実はなかなか知ることが出来ません。全国的にも、世界的にも関心の高さを感じます。原発事故後11年が巡ってきます。心のどこかにずーっと痛みを感じている方々は多いと感じています。目を、口を、耳を塞ぎ、真実をことさら見ない様今日を過ごして人々はコロナ禍でますます同調圧力の中、身を潜めている気がしています。外になんとなく出づらくなって今日も自宅で過ごしてしまう。この人ならここまでは話して大丈夫?と思いながら、人と会う機会が会話をする機会が少なくなって、ますます心身症的な気分になりそうな中、勇気を奮い、外出の機会をつくり、努力して場を作らなければなりませんが、飛田さんをはじめ、危険を冒して写真を撮り続ける方々に連帯して、街頭で声を出したり、地域でやれる事をと、活動している男女平等センターフェスタ等のイベントで「子ども甲状腺がん多発ー子どもたちに未来を!」をテーマに、新聞の切り抜きや統計などの展示で参加します。チェルノブイリ法、日本版の事を伝えられる、動画を流したいと考えています。動画を教えて頂けるとありがたいです。」
柳原共同代表の話の動画はここをクリック
コメント2 「とても良いお話を聞くことができたと思うと同時に、飛田さんのお話では涙しか出ませんでした。こういう事をしっかりご報告くださる方がいるという事に感激しました。南相馬市に一度、私達の「南相馬20mSv/y基準撤回訴訟」裁判の最中にも来てくださり、飛田さんのお話をお聞きし、その時に、二冊ほど写真集を手にしました。とても貴重な画像ばかりです。ところで日本版チェルノブイリ法について、これはやはり今の日本国には必須だと感じます。つたないですが、南相馬でも裁判をされている人は生業裁判はじめ多数います。毎週「原発いらない金曜行動」では金曜日に原ノ町駅前にある図書館で金曜日行動が繰り広げられています。その方々にも話す機会があればお話ししてみようと思います。ブログなど、しっかり拝見したいと思います。」
コメント3「本日は、皆様が継続してこられた「今ほしい チェルノブイリ法日本版」の会に参加させて頂きまして誠にありがとうございました。講演の公開・非公開を配慮され、途中参加の方にもお知らせするようなきめ細やかなご対応に感服致しました。柳原弁護士のお話しでは、二本松に行かれて、これまでの経過がフラッシュッバックされ、2011年から繋がっているという事が印象的でした。また、チェルノブイリ日本版は、子ども被災者支援法と同じ事にならない様に、政策にする事を全て網羅して政府に介入される余地を与えない様にして作られている事も理解しました。飛田さんの命懸けで撮影したお写真とお話しからは、ショックを受けました。目が腫れてしまった事は本当に驚かれた事と思いますし、恐ろしい事で、不自由をされた事と思います。それでも尚取材を続けられる姿勢に、本当に頭が下がる思いです。どうかくれぐれも御身を大切にされてほしいです。
お写真からは、被害者の方々のお身体に被ばくの影響が出てしまった事や、11年目に差し掛かる現在も放射線量が非常に高い事や、取り外された(隠蔽された)原子力安全神話の証拠である、看板など、刻銘に記録されている事を知りました。伸びた草だらけの玄関のお写真にもショックを受け、申し訳ない気持ちになりました。作業をされる方々や警察の方々が、被ばく防護をできない同調圧力の中にあり、危険に晒されている事にも怒りが湧きましたマスコミの報道では中々知り得ない事を知りました。「命懸けの復興」「福島県民が全員被ばく者」というお言葉も心に残っております。本日教えて頂いた事を胸に、これからの運動を取り組んで行きたいと思います。」
コメント4「柳原さんの柔らかな語り口と真摯な姿勢がとても素敵で、恐縮しながらお聞きしています。飛田さんのお話は、衝撃的なことばかりでした。廃炉作業員や出向者の被爆の実態(それなりに耳にしており漠然と予測はしていたのですが、事実を次々と細かにお聞きするとたまりませんでした)、無責任に帰還を進める行政、現福島県知事が、当時のオフサイトセンターの所長で、先陣きって逃げ出したのはこの人だったこと。あんまりだし、県民はなぜそんな人を知事に選んだのか、こちらも不可解です。福島の闇を国と共に作り出している最たる人物なのでしょうか!?
オフサイトセンターの職員が逃げ出したことは探査発行の冊子『双葉病院置き去り事件』で知ったのですが、この冊子を知人がたくさん取り寄せてくださり、昨年、県会議員はじめ、30キロ圏内議員、立地市町首長・担当課、市町議員に届けています。追加で消防署や3市町の拠点病院にも届けました。渡すときには、願いを一杯込めたメッセージを添えて渡しているのですが、どちらもまともに目を通してくれているかどうか??
知事はもはやどうにもならない状況にいるのでしょう。県会も共産党と立民議員のお一人が知事をただす姿勢でのそんでいます。立民議員さんは弱者避難のことを議会で真剣に取り上げておられてこれから実現に向けて連携を取ろうとしていた時、衆議院選直前に不可解な事故で亡くなられてしまいました。5キロ圏外にもヨウ素剤の事前配布を目指している私達は大変なショックを受けました。どの首長も思考停止状態としか思えません。双葉病院置き去り事件冊子を市町議員と担当課、みんながしっかり目を通して議会で真剣に審議してくれたら、今後福井県内の原発の再稼働はあり得ないでしょうに。
知人からいただいた冊子を何とか読んでもらえるようにと添えたメッセージの一部に『三春町の奇跡』のことを書きました。取り上げる前に三春町役場へも電話をいれてサイトから得た情報を確認しました。その時に確認しきれなかったのが服用率だったので、先日質問させていただきました。飛田さんのまさしく命がけの記録、真実の伝達に心より感謝致します。両親の介護中なので思うようには行きませんが、これまで歩いて対話してきた方々を訪ね伝えたいと思っています。身近な友人達にも発信していきます。本当に有難うございました。」
コメント5 「放射線量など当初から今に至るまで、現地の被爆の実態の多くが報道されていない、いわゆるここにも隠ぺいがなされていることに驚きました。そのせいで、10年たった現在私たちも含めて事故の悲惨さが忘れ去らされていることがとても心配です。飛田さんたち現地の方のお話をもっともっと多くの日本人に聞いて欲しかったし、今後もこのような機会を設けていただきたいです。
コメント6 「飛田晋秀さんのお話は私には、どうしても1995年の阪神淡路大震災の体験と重なってきます。生まれ育った家が地震で崩壊し、その後なすすべもなく一滴の水さえかけられることもなく燃え尽きていった経験は、27年を経ても、ほんのちょっとしたきっかけで蘇ってしまう。復興という名のハコモノができたとしても、そこに息づいていた人びとの関係はもう二度と戻りはしないのです。
地震ですら、そうなのに明らかな人災である原発災害においてその心情は想いに添うことすらはばかられるほどです。しかし飛田さんは怒りを持ちながらも冷静にお話してくださり、それが返ってより深く写真の持つ意味を考えさせられました。2016年のいわき市を拠点としたアジア・フォーラムでは第一原発との間を何度も車で往復し、線量計の値に驚いたことをまざまざと思い出されました。
帰還困難区域を解除されると更地となった土地には、6倍もの固定資産税が課されるなど、目からうろこの話しを聞きながら、これほど一貫して人のいのちを軽視するこの国の政治とはなんなんだろうと思わざるを得ませんでしたが、一方で、この日、オンラインで集まった方々がいらっしゃることが私には希望だと思えます。このイベントを企画、運営してくださった方々に心から感謝いたします。」
皆さま、ご参加ありがとうございました。