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2022年2月22日火曜日

【報告】2022.1.29オンライイベント☆☆☆「今欲しい チェルノブイリ法日本版」☆☆☆ 福島の闇を語る(飛田晋秀さん)が開催されました。

 2022年1月29日(土)に、オンラインイベント  「今欲しい チェルノブイリ法日本版」福島の闇を語る(飛田普秀さん)が開催されました。

0人近くの参加がありました。ありがとうございました。
以下、その報告です。

 

◆◆動画(約90分)◆◆



1 柳原敏夫(弁護士/日本版・協同代表)からの挨拶
2 飛田晋秀さん(福島県・三春町在住の写真家)のお話
               3 対談:飛田晋秀さん、柳原敏夫

◆◆参加者の感想◆◆
一部、内容に差し支えない範囲で、編集しています。

コメント1 「このような事実はなかなか知ることが出来ません。全国的にも、世界的にも関心の高さを感じます。原発事故後11年が巡ってきます。心のどこかにずーっと痛みを感じている方々は多いと感じています。目を、口を、耳を塞ぎ、真実をことさら見ない様今日を過ごして人々はコロナ禍でますます同調圧力の中、身を潜めている気がしています。外になんとなく出づらくなって今日も自宅で過ごしてしまう。この人ならここまでは話して大丈夫?と思いながら、人と会う機会が会話をする機会が少なくなって、ますます心身症的な気分になりそうな中、勇気を奮い、外出の機会をつくり、努力して場を作らなければなりませんが、飛田さんをはじめ、危険を冒して写真を撮り続ける方々に連帯して、街頭で声を出したり、地域でやれる事をと、活動している男女平等センターフェスタ等のイベントで「子ども甲状腺がん多発ー子どもたちに未来を!」をテーマに、新聞の切り抜きや統計などの展示で参加します。チェルノブイリ法、日本版の事を伝えられる、動画を流したいと考えています。動画を教えて頂けるとありがたいです。」

 柳原共同代表の話の動画はここをクリック

 

コメント2 「とても良いお話を聞くことができたと思うと同時に、飛田さんのお話では涙しか出ませんでした。こういう事をしっかりご報告くださる方がいるという事に感激しました。南相馬市に一度、私達の「南相馬20mSv/y基準撤回訴訟」裁判の最中にも来てくださり、飛田さんのお話をお聞きし、その時に、二冊ほど写真集を手にしました。とても貴重な画像ばかりです。ところで日本版チェルノブイリ法について、これはやはり今の日本国には必須だと感じます。つたないですが、南相馬でも裁判をされている人は生業裁判はじめ多数います。毎週「原発いらない金曜行動」では金曜日に原ノ町駅前にある図書館で金曜日行動が繰り広げられています。その方々にも話す機会があればお話ししてみようと思います。ブログなど、しっかり拝見したいと思います。」

 

 

コメント3「本日は、皆様が継続してこられた「今ほしい チェルノブイリ法日本版」の会に参加させて頂きまして誠にありがとうございました。講演の公開・非公開を配慮され、途中参加の方にもお知らせするようなきめ細やかなご対応に感服致しました。柳原弁護士のお話しでは、二本松に行かれて、これまでの経過がフラッシュッバックされ、2011年から繋がっているという事が印象的でした。また、チェルノブイリ日本版は、子ども被災者支援法と同じ事にならない様に、政策にする事を全て網羅して政府に介入される余地を与えない様にして作られている事も理解しました。飛田さんの命懸けで撮影したお写真とお話しからは、ショックを受けました。目が腫れてしまった事は本当に驚かれた事と思いますし、恐ろしい事で、不自由をされた事と思います。それでも尚取材を続けられる姿勢に、本当に頭が下がる思いです。どうかくれぐれも御身を大切にされてほしいです。

 

 お写真からは、被害者の方々のお身体に被ばくの影響が出てしまった事や、11年目に差し掛かる現在も放射線量が非常に高い事や、取り外された(隠蔽された)原子力安全神話の証拠である、看板など、刻銘に記録されている事を知りました。伸びた草だらけの玄関のお写真にもショックを受け、申し訳ない気持ちになりました。作業をされる方々や警察の方々が、被ばく防護をできない同調圧力の中にあり、危険に晒されている事にも怒りが湧きましたマスコミの報道では中々知り得ない事を知りました。「命懸けの復興」「福島県民が全員被ばく者」というお言葉も心に残っております。本日教えて頂いた事を胸に、これからの運動を取り組んで行きたいと思います。」

 

 コメント4「柳原さんの柔らかな語り口と真摯な姿勢がとても素敵で、恐縮しながらお聞きしています。飛田さんのお話は、衝撃的なことばかりでした。廃炉作業員や出向者の被爆の実態(それなりに耳にしており漠然と予測はしていたのですが、事実を次々と細かにお聞きするとたまりませんでした)、無責任に帰還を進める行政、現福島県知事が、当時のオフサイトセンターの所長で、先陣きって逃げ出したのはこの人だったこと。あんまりだし、県民はなぜそんな人を知事に選んだのか、こちらも不可解です。福島の闇を国と共に作り出している最たる人物なのでしょうか?                                       

 オフサイトセンターの職員が逃げ出したことは探査発行の冊子『双葉病院置き去り事件』で知ったのですが、この冊子を知人がたくさん取り寄せてくださり、昨年、県会議員はじめ、30キロ圏内議員、立地市町首長・担当課、市町議員に届けています。追加で消防署や3市町の拠点病院にも届けました。渡すときには、願いを一杯込めたメッセージを添えて渡しているのですが、どちらもまともに目を通してくれているかどうか??

 知事はもはやどうにもならない状況にいるのでしょう。県会も共産党と立民議員のお一人が知事をただす姿勢でのそんでいます。立民議員さんは弱者避難のことを議会で真剣に取り上げておられてこれから実現に向けて連携を取ろうとしていた時、衆議院選直前に不可解な事故で亡くなられてしまいました。5キロ圏外にもヨウ素剤の事前配布を目指している私達は大変なショックを受けました。どの首長も思考停止状態としか思えません。双葉病院置き去り事件冊子を市町議員と担当課、みんながしっかり目を通して議会で真剣に審議してくれたら、今後福井県内の原発の再稼働はあり得ないでしょうに。

 知人からいただいた冊子を何とか読んでもらえるようにと添えたメッセージの一部に『三春町の奇跡』のことを書きました。取り上げる前に三春町役場へも電話をいれてサイトから得た情報を確認しました。その時に確認しきれなかったのが服用率だったので、先日質問させていただきました。飛田さんのまさしく命がけの記録、真実の伝達に心より感謝致します。両親の介護中なので思うようには行きませんが、これまで歩いて対話してきた方々を訪ね伝えたいと思っています。身近な友人達にも発信していきます。本当に有難うございました。」

 

コメント5 「放射線量など当初から今に至るまで、現地の被爆の実態の多くが報道されていない、いわゆるここにも隠ぺいがなされていることに驚きました。そのせいで、10年たった現在私たちも含めて事故の悲惨さが忘れ去らされていることがとても心配です。飛田さんたち現地の方のお話をもっともっと多くの日本人に聞いて欲しかったし、今後もこのような機会を設けていただきたいです。

 

コメント6 「飛田晋秀さんのお話は私には、どうしても1995年の阪神淡路大震災の体験と重なってきます。生まれ育った家が地震で崩壊し、その後なすすべもなく一滴の水さえかけられることもなく燃え尽きていった経験は、27年を経ても、ほんのちょっとしたきっかけで蘇ってしまう。復興という名のハコモノができたとしても、そこに息づいていた人びとの関係はもう二度と戻りはしないのです。

 地震ですら、そうなのに明らかな人災である原発災害においてその心情は想いに添うことすらはばかられるほどです。しかし飛田さんは怒りを持ちながらも冷静にお話してくださり、それが返ってより深く写真の持つ意味を考えさせられました。2016年のいわき市を拠点としたアジア・フォーラムでは第一原発との間を何度も車で往復し、線量計の値に驚いたことをまざまざと思い出されました。

 帰還困難区域を解除されると更地となった土地には、6倍もの固定資産税が課されるなど、目からうろこの話しを聞きながら、これほど一貫して人のいのちを軽視するこの国の政治とはなんなんだろうと思わざるを得ませんでしたが、一方で、この日、オンラインで集まった方々がいらっしゃることが私には希望だと思えます。このイベントを企画、運営してくださった方々に心から感謝いたします。」

 

皆さま、ご参加ありがとうございました。

2022年2月8日火曜日

新しい酒は新しい皮袋に — チェルノブイリ法日本版の思想について —

柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会 協同代表、弁護士)

 

原発事故被害者の救済が目的

  チェルノブイリ法日本版の概要を説明しますが、今回は具体的な条文よりもむしろ「理念・思想」のお話をします。

 日本版制定の運動には、「チェルノブイリ法日本版の内容」「法の実現の方法」の2つの側面があります。内容に関しては「人権」、方法については「民主主義」、がそれぞれキーワードです。今日のお話では、法の内容と法の実現の方法、これらを知ることと同時に、日本版の取り組みが人類史における人権思想の発見創造及び発展と関わっていることを理解していただきたいと願っています。

 まず、福島原発事故という未曾有の事態を経験した私たちのミッション(使命)、目的とは何か。それは「3.11後に日本政府や社会に出現した不正義を正して、本来の政治を実現すること」。

 具体的には原子力災害の被害者の救済です。3.11後の福島を覆っている災害の新しさ。原発事故という従来の災害観ではとらえきれない新しい問題。これに対して法律がまったく対応・適応していません。この著しいギャップのために、適切な救済を受けられずに打ち捨てられている人々。この人々に対しての本来の救済をまず実現したいということが、チェルノブイリ法日本版制定の大きな動機です。

 

改定公害対策基本法を作らせた市民の戦いに立ち戻る

 「方法」から先にご説明します。目標を実現する方法とは、現前する行き詰まった民主主義を超える民主主義。今の日本の「政治の機能不全」あるいは「民主主義の機能不全」を嘆いているだけでは仕方ない。民主主義の原点に還ることで乗り越える。それは直接民主主義的側面が持つ方法です。市民が主導して民主主義を実現するという方法論に立ち返ろうというのです。

 ところで、市民主導の民主主義を実践してきた経験が、日本の市民運動にはあります。半世紀前の、公害という未曾有の異常事態に対する市民の戦い。公害克服の大きな民意があって市民運動が盛り上がった。その成果が1970年の「公害国会」による立法的解決をもたらしました。公害対策基本法改定と関係14法の制定です。そういう市民の半世紀前の歴史的経験に立ち返った「市民立法」がチェルノブイリ法日本版の方法です。「新らしい酒は新しい皮袋に盛れ」。「日本版」が新しい酒であり、「市民立法」が新しい皮袋です。

 

人権の主体と認められてこなかった被害者

 内容について説明をさせていただきます。3.11前の日本の法律の内容と思想には大きな欠落がありました。内容については「放射能災害というものは起きない」という安全神話を盲信していて、対策はやったとしてもなおざりの儀礼的なものにとどまった。本当の意味の原発事故被害対策は完全に没却されていたのです。法律の体系は、放射能災害に対する対策は完全に無法状態にあったのです。

 その法の思想に関しても、放射能災害以外の、地震や津波の災害における基本理念というのは、被害者は「政府の保護や救済の対象」として捉えていました。被害者を「人権の主体」として捉えてこなかった。つまり人権思想が不在であったことが、3.11前の大きな特徴です。

 問題は、3.11後にどうなったかということですが、これもまったく変わらなかった。

 原発事故が起きてしまった後に、国がやったことは、災害救助法の時の理念と同じです。原発事故被害者をあくまでも国家の保護救助の対象として、彼らに対して指示や命令や勧奨等に従うことを求めました。住宅やお金が提供された市民は黙ってありがたく受け取るだけの施しお恵みの対象でした。受け身の存在として扱われることがあっても決して人権の主体としては扱われなかった。そこは3.11前と同様なのです。

 被災者は受け身の存在であることから、救済策はこれでおしまいと国が決めたら、例え不満であっても従うだけの結果となるのは必然だったのです。

 

被害者の人権を法に定めると国家に責任と義務が生じる

 しかしこれがひとたび被災者の立場を人権の主体としてとらえた場合には、事態が一変します。なぜなら人権の主体としてとらえた場合には、国の責任と義務が発生するからです。市民の人権を侵害しない、させないというのが、人権に対する国の義務です。ですからお金の給付とか住宅の提供を打ち切る場合も、それが人権の侵害にならないかが、厳しく問われることになります。

200年以上前の史上初の人権宣言=ヴァージニア憲法の原点なんですが、同憲法には「政府というものは本来市民の利益のために作られて、それに反する政府は改良し変革しまたは廃止するというのが市民の権利である」とはっきり謳われています。人権の主体として認められたときには、市民にこのような権利が発生します。なぜ「原発事故子ども被災者支援法」ではこういうことが謳われなかったのか。それこそが政府にとっては市民に渡すわけにはいかない権利だったわけで、「権利」の字句は一言も書かれていないのです。

 これに対して、チェルノブイリ法日本版の意義は「人権の本質原点に立ち返って放射能災害における被災者の救済を再定義する」ということにあります。

 

人権は一瞬たりとも途切れることがない

 もともと人権というのは「日本国民である」とか「福島県民である」とか「ナントカである」ということに基づいて認められる権利ではない。ただ人であることだけに基づいています。人は唯一無二の存在であるという個人の尊重の理念に立脚したものです。これは、歴史的にはアメリカ革命(アメリカの独立戦争)で出現して、その後普遍的なものとして承認されてきた人類至高の権利です。私たちは、ここに立ち戻って、放射能災害における被災者の救済を再定義しようと提起しています。

 先ほど言いましたように、人権がある場合には、人権を侵害しないこと、人権の保障を実行すること、 これが国家の唯一の義務になります。しかも人権はオギャーと生まれたときから死ぬまで(安倍元首相が大好きな言葉でしたが)「切れ目なく、一瞬たりとも途切れることなく」保障される権利です。ですから、原発事故が発生したからといって、被災者は一瞬たりとも人権を喪失することもなければ、国家は一瞬たりとも人権を実行する義務を免れることはありません。これが大原則です。

 

避難・移住を人権として法に定める

 しかも原発事故の救済の理念とは、避難です。これは現状認識から来ることで、現代の科学技術の水準ではひとたび原発事故が発生したら放射性物質の封じ込めは不可能です。なおかつ人間の身体は放射線には勝てません。この現状認識から導かれる結論は、ひとたび原発事故が発生した場合、最善の救助策は人びとを原発から拡散した放射性物質から遠ざけること、避難ですね。これが救済の基本理念になるわけです。

 この基本理念に立って、チェルノブイリ法日本版は、事故直後であっても、その後のある程度落ち着いた時点であっても、とにかく放射性物質から人びとが避難すること、これを基本として、なおかつこれを人権として保障しようというものです。条例案にありますけれども、事故直後には一時的な緊急避難としての「避難の権利」を定めています(日本版条例案14条)。その後ある程度落ち着いた段階で、今度は恒久的な避難をするかしないかの意味での「移住の権利」を定めてあります(日本版条例案11条)。これらを全て人権として保障してあります。日本の法律には災害における人権という発想はないのですが、東京都の公害防止条例(1969年)の前文ははっきりと人権を謳っています。「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有する」これをモデルにして、日本版の前文も作られています。

   放射線防護の国際的な基準である「年間1ミリシーベルト(mSv)以上の被曝をさせない」ということをはっきり謳っているのが旧ソ連諸国のチェルノブイリ法です。これを最初の救済のステップとして日本にも導入するのが日本版です。但し、これはあくまでも最初のステップで、さらに厳密に子供や妊婦や弱い立場の人たちをより手厚く保護する形で内容を充実させていこうと考えています。

 

*本稿は20211120日、「育てる会主催のオンライン・イベント避難者と語る「今欲しい チェルノブイリ法日本版」」における柳原報告の文字起こしを元にまとめました(文責 柴原洋一)。
*私たち育てる会にとっての「市民立法」とは具体的には、それぞれの市町村や都道府県で、チェルノブイリ法日本版条例を制定し、その積み上げによって国の法律にする。このプロセスを市民主導で実現することを指します。

 

 

 

 


 


【お知らせ】ニュースレター第10号の発行(2024.12.8)

   市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会では、全国各地の会員の日々の取り組み、活動を随時、ニュースレターにして発行、賛助会員その他支援者の皆さんに配布しています。 これまでのニュースレター      第1号 -> こちら      第2号 -> こちら      第3号 ->...