市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の基本情報

2020年11月1日日曜日

【お知らせ】ニュースレター第1号の発行(2020.9.12)

 市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会では、全国各地の会員の日々の取り組み、活動を随時、ニュースレターにして発行、賛助会員その他支援者の皆さんに配布することにしました。

以下はその第1号(9月12日発行)です。 そのPDFは->こちら

編集はオーストラリアでやっています。今後、随時、発行の予定です。 




2020年5月24日日曜日

【報告】東京都清瀬市からの2つの報告&安定ヨウ素剤の服用基準見直しの検討過程に関する重要な発見

いま、日本各地で、コロナ対策の一環として三密回避「危険なもの(コロナウイルス)に近づかない」が叫ばれています。これは危険の未然防止という予防原則を具体化したものです。
もしコロナウイルスに勝つ治療方法があれば、ここまで三密回避をやる必要はなかったでしょう。
しかし、その治療方法がない以上、原点に戻り、予防原則の大切さ叫ぶしかなかったのです。
そうだとすれば、放射能災害でも同じです。
原発事故発生直後に、被ばくによる甲状腺がん発症の危険性を未然に防止する最大の防止策の1つが「安定ヨウ素剤の服用」です(だから福島原発事故直後、福島県立医大の職員は一斉に服用しました)。これは予防原則の最たるものです。
だから、コロナ災害で「三密回避」の必要性を訴える人たちが、もし放射能災害で「安定ヨウ素剤の服用」の必要性を否定するとしたら、それは自分が何をしているのか理解できない人たちです。

いま、現在の医学の科学技術ではコロナウイルスに勝てないとき、私たちは三密回避という予防原則に従うしかないことと多くの人たちが身をもって理解しています。
この点で、現在の医学の科学技術では放射能に勝てない放射能災害(原発事故)と同じです。
私たちは、コロナ災害を通じ、身をもって知るに至った予防原則の必要性、大切さを放射能災害にも振り向ける必要があります。その1つが 「安定ヨウ素剤の服用」であり、それらの予防原則の具体化を集大成したチェルノブイリ法日本版です。

今年1月にチェルノブイリ法日本版の学習会を行なった清瀬市の市民の皆さんから、学習会の報告と「安定ヨウ素剤の事前配布を求める」市議会への請願の結果についての報告を頂いたので、転送します。また、その「安定ヨウ素剤の服用基準」の見直しの検討過程について、このたび、重要な発見がありましたので、合わせて報告します。

①.以下は今年1月に清瀬市で行なったチェルノブイリ法日本版の学習会の報告です。学習会に参加した皆さんが当日の話をどのように受け止めたのかが伝わる貴重な報告でした。

                      (クリックすると拡大)

②. 2つ目が、放射能災害に備えるAct locally(目の前のことをを具体的に取り組む)の活動の報告です。今年3月の議会に、安定ヨウ素剤の服用について、今回はつつましく、「3歳児未満の乳幼児へゼリー状の安定ヨウ素剤の事前配布を求める」という請願を出しました。その請願に対する議員ごとの対応も分かる報告書が作成されました。誰が市民の味方かが分かるとても貴重な情報です(送って頂いた通信全文は->こちら)。
                     (クリックすると拡大)

③.この「安定ヨウ素剤の服用」については、その服用基準の見直しについて、先ごろ、井戸謙一弁護士による重要な発見があります。詳細は追ってお知らせし、とりあえずその概要をお伝えします。

現在、放射能災害が発生したとき、小児甲状腺がん予防のため、小児に安定ヨウ素剤を服用する基準は「小児甲状腺等価線量の予測線量100ミリシーベルト」とされています。
しかし、この服用基準は高すぎるという批判が前々からありました。
その際たるものが、WHOが1999年に出した、18歳までの小児対しては10ミリグレイ(ここではミリシーベルトと同じ)」というガイドライン->日本語訳)でした。WHOは関係機関に、このガイドラインに従った基準の設定を要請しました。その結果、ラテンアメリカ、アジア・オセアニア、ヨーロッパの各甲状腺協会はこれを受け入れることを表明、各国も100ミリシーベルトの見直しに踏み切りました。
しかし、原子力発電推進国では唯一といいほど日本が、従前の100ミリシーベルトという高い基準を維持していました。
ただ、こうした国際的世論を受けて、日本でも服用基準の見直しの検討が迫られ、 2001年、原子力安全委員会の中の防災専門部会に「被ばく医療分科会」が設けられ、山下俊一氏を含む5人の委員が7回の会合での議論を踏まえて、防災専門部会は、2002年4月、「原子力災害時における安定ヨウ素剤予防服用の考え方について」と題する報告(専門部会報告と言います)を出しました。
しかし、その結論は従来通り、40歳未満の全ての人の服用基準は、「小児甲状腺等価線量の予測線量100ミリシーベルト」であるというものでした。
 問題は、その結論を引き出す根拠でした。

その概略を述べますと、
(1)、服用基準を定める式のアイデアは不利益と利益の釣り合い(「リスク・ベネフィットバランス」)を考慮するというもの。この点はWHOガイドラインと変わらない。
(2)、このアイデアに基づき使われた式が以下のもので、これ()が>0(正の値)の時の線量を求める。
B=Yo-(Y+R+X+Ai+As-Bc)

  B:あらゆる対策に関連する正味の便益
  Yo:対策を講じないことによる放射線の損害(DGy×(1Gy当たりの甲状腺生涯リスク)
  Y:対策を講じた場合に残存する放射線の損害
  R:防護対策を採ることにより生じる身体的リスク
  X:防護対策を実施するために必要な資源と努力
  Ai:防護対策により生じる個人の不安と混乱
  As:防護対策により生じる社会の混乱
  Bc:防護対策により得られる安心の便益


そして、専門部会報告は、Y、X、A、As、はいずれも0としているから、上記の式は、次のとおり簡略化される。
B=Y-R>0

結局、ベネフィット()がリスク()よりも大きくなる線量()を求めることになる。
(3)、の値 
 これについては専門部会報告とWHOガイドラインで大きな違いがありません。
 大きな違いは次ので生じました。
(4)、の値
  WHOガイドラインは、チェルノブイリ事故におけるポーランドの経験から、安定ヨウ素の投与からの深刻な副作用のリスクとして「10-7」を採用しました。これに対し、専門部会報告は根拠を示さずに、「6×10-4を採用したのです。
その結果、 WHOガイドラインでは、>0となるのは線量が0.01ミリグレイ(ミリシーベルト)。
他方、 専門部会報告では>0となるのは線量が50 ミリグレイ~90ミリグレイ以上
計算の結果、6000倍という、これほどの開きが出るとなりました。

専門部会報告は1999年に公表されたWHOガイドラインの中身は重々していました。だから、
WHOガイドラインがリスク()の値を何に基づいて決定したかもよおく知っていました。チェルノブイリ事故におけるポーランドの経験は、検討委員の一人山下俊一氏が311前に好んで口にした実例です(2009年「放射線の光と影」537頁()) 
にもかかわらず、専門部会報告は、ポーランドの経験に基づいたWHOガイドラインの決定に対する何一つ批判を加えることなく、これを黙殺、なおかつ自らの根拠も示すことなく、シラーと別の値を挿入しました。その結果が、従来通りの100ミリシーベルトでよいという結論でした。
こうなってくると、これはもはや科学ではなく、科学という名をまとった茶番、猿芝居ではないでしょうか。
この茶番劇がもたらした基準が2011年の福島原発事故でも、福島の子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させない大義名分になったのです。そして、今後起きるかもしれない次の原発事故でも、同様の扱いが正当化されるのです。
改めて、WHOガイドラインに基づいた安定ヨウ素剤の服用基準に注目し、それを私たちの町に住む子どもたちの命、健康を被ばくから未然に守る予防原則に当てはめましょう。

)「ポーランドにも、同じように放射性降下物が降り注ぎましたが、環境モニタリングの成果を生かし、安定ヨウ素剤、すなわち、あらかじめ甲状腺を放射性ヨウ素からブロックするヨウ素をすばやく飲ませたために、その後、小児甲状腺がんの発症はゼロです。

2020年1月27日月曜日

【報告】もう1つのAct locallyに挑戦した、東京都清瀬市、1月25日(土)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会

2020年1月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 1月25日(土)、「清瀬・くらしと平和の会」主催で、東京都清瀬市の「男女共同参画センター(アイレック)」でやりました。


2回前の学習会から「新しい段階に入った」学習会と紹介しました。 一言でそれは
Think globally, Act locally.
つまりThink globally(全体を大きくとらえる)ばかりではなく、同時にAct locally(目の前のことをを具体的に取り組む)ことでした。
ただ、2回の学習会は、それを以下のように政策の面から検討しました。

しかし、初めての試みでしたが、今回はそれを人間の面から紹介しました。
それが、2日前の23日、福島地裁の法廷で、311後の自身と家族の苦難の日々を証言した原告の長谷川克己さんに登場してもらう、というやり方でした。

                                                    (長谷川克己さん)

映画「シンドラーのリスト」の最後の場面で、ドイツ降伏の後、犯罪者として収容所から立ち去るシンドラーは、彼が助けたユダヤ人たちから指輪を送られ、こう告げられます。
ひとりの命を救う者が世界を救う
この言葉に震撼させられたシンドラーは、自分が果して、ひとりのユダヤ人を救おうとしてきたのかと自問自答し、最善を尽くしてこなかったのではないかと自分を責め、泣き崩れます。‥‥

私にとって、311直後の長谷川さんはこのシンドラーの生き様と重なる部分がありました。
311まで放射能の知識について皆無同然だった長谷川さんは原発事故で、自分の中で動物的勘として「予防原則」の指令が緊急発進し、唯一これに導かれて、周囲との軋轢、冷笑、中傷に耐えながらそれらを跳ね除けて、妻子と共に福島から静岡に避難しました。
ただし、それは決して一直線の道だったわけではなく、一度は県外に避難させた妻子を再び連れ戻し、山下俊一アドバイザーの「心配ない」という甘言にコロッと騙されて、「ここにいても大丈夫なんだ」と窓を開け放ち、地元産の野菜を食べ、しかしその後そのおかしさに気がつくというあんばいに、右往左往するジグザグの道のりでした。
しかし、長谷川さんは、必死に最善の道を探し続ける暗中模索の中で、ついに、自分の考えとジャストミートする一群の市民たちに出会います。それが5月23日に福島県から文科省に抗議行動に出た市民団体「子ども福島」でした(→その動画)。
彼らの行動に万感の共感を覚えた長谷川さんは、1週間後、「子ども福島」と福島県の交渉(→その写真)を奥さんと傍聴、そこで「子どもを放射能から守って欲しい」と切々と訴える「子ども福島」の要望に対し、「子どもを守る」気のない福島県の正体を目の当たりにして、「もう行政に頼ってもダメ」だと観念し、自ら避難することを夫婦で決意しました。
そこからは、ユダヤ人の救済を決意し、「シンドラーのリスト」を作成したシンドラーと同様、長谷川さんは目標に向かって一直線に突っ走ります。

長谷川さんの行動は、たとえ放射能について全く無知な人であっても、ひとたび未曾有の原発事故が発生した時、普段から私たちの胸の中にある
「とにかく危険には近寄らない」
「危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。」
という動物的勘が働いて、それに導かれて、放射能の危険から脱出することが可能であることを示す生きた例でした。

ただし、動物的勘と言っても、もう1つの作用の仕方があって、それが、
未曾有の原発事故に直面した時、恐怖の余り気が動転し、そこで、「危険はないんだ」と自ら言い聞かせ、平常心を取り戻そうとする「動物的勘」。
「動物的勘」でも、これは行動が長谷川さんと正反対の方向に向かいます。
この差はどこから来るのか?
これに対する長谷川さんの答えは--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
長谷川さんは、のちに、この動物的勘は「予防原則」のことだと知り、自分は311直後に、知らずして、自分の中で予防原則が作用していたんだと気づく。
つまり、
長谷川さんにとって、予防原則とは
とにかく危険には近寄らない
危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。」
というだけのこと、それは知識だとか何とかではなくて、実生活の中で身につけている動物的勘だ、と。

以上から、長谷川さんが身をもって示したことは、
原発事故のような未曾有の事態に直面した時でも予防原則を貫けるかどうかは動物的勘が働くかどうかによる、しかも、それがまちがった勘ではなく、「正しい」動物的勘が働くかどうかは、未来しかない「子どもに対する愛」があるかどうかによる。

裁判前に、これを書いていて、
チェルノブイリ法日本版のエッセンスは予防原則です。
だとしたら、長谷川さんの生きた経験以上に、チェルノブイリ法日本版のエッセンスを雄弁に語るものはないのではないか、と気がつきました。

そこで、当日の学習会のレジメの題名をこう決めました。
私たちが「チェルノブイリ法日本版」に至る道
――それは知識ではなく、動物的勘そして愛――

言い換えれば、動物的勘と愛がない限り、人はいくら勉強しても、いくら放射能の知識は増えても決してチェルノブイリ法には辿り着かない。知識は足りてる、足りないのは動物的勘と愛。

私は、この数週間、長谷川さんの生きた経験に接し、「チェルノブイリ法日本版」に至る道はものすごく単純、シンプルなものであることがハッキリしました。
もっとも、これは「チェルノブイリ法日本版」と出会うまでの道。そのあとのロードマップ、市民立法により「チェルノブイリ法日本版」を実現というゴールに辿り着くためには、今度は動物的勘だけでは足りません。そこで初めて、過去の日本と世界から、市民立法の歴史と教訓を学ぶ必要があります。しかし、それはあくまでも「チェルノブイリ法日本版」の必要性に出会った人たちが次に直面する課題です。
なおかつ、その学びも、出発点となる愛と動物的勘がぐらつくと、その学びもまたぐらつき、ぶれてしまいます。ただの物知りに堕してしまう恐れがあります。この意味で、長谷川さんの教えは私たちに次のことも示しているように思います。
知識の虫としてチェルノブイリ法日本版に近づくのではなく、捨てておけない、苦悩に満ちた問題に対する答えを求める一人の人間として、チェルノブイリ法日本版のもとに行くこと。それが私たちにチェルノブイリ法日本版の正しい答えを引き出す原動力、源泉となる。

以下は、「チェルノブイリ法日本版」の入り口に至る道は放射能の知識などに関係なく、誰にも開かれた、ものすごく単純なもの=「動物的勘」について、長谷川さんの経験に即して紹介した学習会の動画・プレゼン資料・レジメです。

動画
主催者等の挨拶(8分) 


柳原の話(1)(36分)


柳原の話(2)(23分)

柳原の話(3)(28分)


参加者との質疑応答(33分)

プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 



レジメ(PDFは->こちら

                 **************
私たちが「チェルノブイリ法日本版」に至る道

――それは知識ではなく、動物的勘そして愛――

2020年1月27日

1、311まで放射能に無知だった或る避難者の証言(その1)
311当時、郡山の介護施設の現場責任者だった長谷川克己さんの証言(一昨日の福島地裁の原告本人尋問より)。
――3月12日の原発1号機の爆発。爆発映像を流すTVに、介護施設で勤務中に長谷川さんが周りの職員に「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手はこう反応。
今それどころじゃないですよ。大変なんですから」
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」

長谷川さんはこの言葉を聞き、ハッと思った--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
 

9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて、動物的勘の問題だ、と。
あとから知った言葉で予防原則、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
ただし、それは別に特別なことでなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうしている、予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするのか!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。―――
       ↑
長谷川さんのこの証言に対し、私から彼に投げた質問、
原発事故のような未曾有の事態に直面した時、恐怖の余り気が動転し、危険はないんだと自ら言い聞かせ、平常心を取り戻そうとした人もいるんじゃないか、それもまた「動物的勘」の1つではないでしょうか。
だとしたら、同じ「動物的勘」でも行動がそこから正反対の方向に分かれてしまう、この差はどこから来ると思います?


これに対する
長谷川さんの答え--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
 
2、或る避難者の証言(その2)
同じく長谷川さんの意見陳述(5年前の子ども脱被ばく裁判の第1回裁判)。

――私たち親子が、この裁判の原告になった理由は、一言で申せば、「このまま、この理不尽に屈するわけにはいかない」という思いからです。

原発事故から4年余りの間、日本政府、福島県行政が行ってきた対応の数々は、私にとっては理不尽の連続でありました。
「原発事故直後、多くの諸外国が、原発から80キロ圏内の住民に避難指示を出したのに、なぜ日本政府は20キロ圏内に留めたのか?」
「なぜ、日本政府は、原発事故から間もなくして、法律に定めていた国民の追加被ばく線量・年間1ミリシーベルトの値を20倍に引き上げたのか?」
「なぜ、日本政府は、予防原則に基づき、子どもや妊婦は、放射線量の低い地域へ避難させるとの処置をとってくれなかったのか?」
「なぜ、日本政府は、今も事故前よりも明らかに高い放射線量の地域に帰還を促すのか?」
その他にも、数々の「なぜ」が私の頭の中を巡ります。‥‥しかしながら、日本政府が、福島県行政が、この4年間をかけて行ってきたことは、私たちに対して、まるで「被ばくなど無かった」「原発事故はコントロールされている」かと錯覚させるような所業であります。

このことに対して改めて、ここで強く申し上げたいことがあります。

それは、「この被ばくを」、「この原発事故を」、無かったことにしたいのは、本当は私達のほうだということです。
「4年前の3月12日以降、子ども達の頭上に、大量の放射能が降り注いだことを、無かったことにしたい・・・。」
「自分の判断が悪かったことで、わが子に大量の被ばくをさせてしまったことを、無かったことにしたい・・・。」
「住み慣れた、愛すべきふるさとが、放射性物質で汚されたことを、無かったことにしたい・・・。」
「この先、子ども達に健康被害が発生するかもしれないなどという未来など、訪れるはずもない・・・。」
そう、この原発事故を無かったことにしたいのは、私たち市民であり、母親であり、父親であります。
     ↑
この証言に対し、私から長谷川さんに投げた質問、
原発事故を無かったことにしたいのは、私たち市民だ」この願いは本当にその通りで、日本政府もそれを重々承知の上で、私たち市民のこの弱みに付け込んで、「もうそろそろ終りにしようぜ」「オリンピックで気持ち切り替えようぜ」と経済復興に狂騒、狂走し、私たちを巻き込もうとしている。
この時、政府のこの残忍酷薄な政策に対し、私たち市民の側は2つに別れるのではないか。
ひとつは、いつまでも、放射能の恐怖に怯え、ビクビクする生活を続けるくらいなら、いっそのことを気持ちを切り替えて「もう終わった、もう別にたいしたことではないんだ」と意識的に「思考停止」に陥り、復興に向かって元気になろうと気持ちを切り替える人たち。
私から見ると、これもまた動物的勘の1つで、一方で避難する経済的余裕はない、他方で戻った場所は汚染まみれというジレンマの状況の中で、人々は身を守るための防衛本能が働いて、動物的勘から、こうした行動に向かっている。
しかし、長谷川さんは同じ「この原発事故を、この被爆を無かったことにしたいのは本当は私達のほうだ」という願いから出発しながら、「危険には近づかない」という予防原則を動物的勘から働かせ、その結果、復興に向かって元気になろうと気持ちを切り替えた人たちと正反対の道、避難の継続の必要性に向かった。その差はどこから来たのか。なぜそれが可能だったのか。


これに対する長谷川さんの答え--もし避難と違う選択肢を選んでいたら、自分は守れても、子どもの未来を守るという、避難をしたそもそもの目的が果たせなくなるからです。どのような状況でも、「こどもたちを守る」という最大の目的を見失わないように心がけたことです。

3、長谷川さんの証言とチェルノブイリ法日本版
チェルノブイリ法日本版のエッセンス――予防原則。
311の危機における長谷川さんの行動原理は予防原則。
だから、長谷川さんの教えは、
市民がチェルノブイリ法に至る道――そこで必要なのは知識ではなく、動物的勘、そして愛。

その反面、愛と動物的勘がない人は、いくら知識は増えても決してチェルノブイリ法には辿り着かない。

また、日本政府もずっと予防原則を使ってきた。「備えあれば憂いなし」、と。国を守るためには思い切り予防原則を口実にしてきた。しかし、国民を守るためには沈黙し続ける。それは日本政府に国民に対する愛がないからだ。

2年前の結成集会の長谷川さんの言葉――「自分の手が届かない時間に対しての責任というものを、私自身が放棄することは絶対にできない」「やはり、『この理不尽の中で屈して、お父さんは引き下がってしまった』ということを子どもたちに見せるわけにはいかないという思いで、今後も頑張ってきたい」

この壊れた日本政府の理不尽に屈せず、あらがうこと、それが「市民立法」チェルノブイリ法日本版。今を生きるとは、生涯忘れ得ぬ体験を反復すること、それが「市民立法」チェルノブイリ法日本版。